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言葉が人を決める

「7つの習慣」より~反応的な言葉


反応的な言葉は、決定論的なパラダイムから発せられるものだ。その背景にある精神は責任を転嫁することである。責任は自分にはない、自分の反応は選ぶことができないというものである。

大学で教えていた頃、ある時ひとりの学生が私にこう質問した。
「授業を休ませてくれませんか。テニスの合宿に行かなくちゃならないんです」
「行かなければならないのか、それとも生きたいのか。どちらだね」
「いやぁ、本当に行かなければならないんです」
「行かなかったらどうなるんだい」
「行かなかったらチームからはずされます」
「その結果についてどう思うかい?」
「いやですね」
「つまり、チームからはずされないという結果が欲しいから、行くことにしようと思っているんだね。では、授業に出なかったらどういう結果になると思う?」
「分かりません」
「良く考えてごらん。授業に出なかったら自然の結果としてどうなるだろう」
「単位を落とされたりはしませんよね?」
「それは社会的な結果で、人がつくるものだ。テニスのチームに参加しなければプレーができない。それは自然の結果だ。クラスに来なかったら、その自然の結果としてどうなるだろう」
「学ぶ機会を失うでしょうね」
「そうだ。だからその結果と他の結果を比較して、選択しなければならない。私だったらテニスの合宿に行くことを選択するだろうね。しかし、何事にもねばならないとは、絶対に言わないでほしい」
「では、僕は合宿に行くほうを選びます」
と、もじもじしながら彼は答えた。
「なんだって、私の授業を休むって」
と冗談半分にからかいながら、私は言い返した。

反応的な言葉がなぜ重要な問題なのかというと、それが心理学でいう「自己達成予言」になるからである。つまり、そういう言葉をつく人は、決定づけられているというパラダイムをさらに強く持つことになり、その信念を支える証拠を自分で作り出すことになる。ますます被害者意識に陥り、生活のコントロールを失い、自分の人生を自分でつくり出す能力をなくしてしまうのだ。そして、自分の状況をすべて外的な要因(他人、環境、星座に至るまで)のせいにするのである。

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