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特別なお客になる技術

ある旅行添乗員の悲劇


ヨーロッパで伝乗員として団体ツアーの同行をしていたある女性は、旅行中のある日、移動の待ち合わせ時間になってもあるおじいさんのお客が現れないことに気がついた。
そういえば昨晩、みんなで飲みにいこうと話していたときに「気分がすぐれないから、部屋で寝ます」と言っていたことを思い出した。
ホテルの人に鍵を開けてもらい中に入ると、残念なことにそのお客は浴室で亡くなっていた。

帰国便のヨーロッパ系航空会社の飛行機に乗る前に、添乗員は座席を指定した。
ショックがあまりにも大きかったため、帰りの飛行機くらいは落ち着いていたかった。
ところが団体客のチケットをまとめて取り、誘導が済んでから自分が乗り込むと、数度確認して取ったはずの席ではない席を指定されていることに気がついた。
そして思わず気が立って日本人スチュワーデスを怒鳴りつけた。

スチュワーデスは席の変更を試みたようだったが、あいにく満席だと伝えられた。
そして、飛行機が上空で安定飛行に入ってから、希望の席に案内できると言われ席を移った。
どうやらスチュワーデスがもともとその席に座っていた人に声をかけ、替わってくれるように頼んだらしい。
添乗員は座席に座ってからスチュワーデスを呼び、「こんなことをして替わってもらっても、私はフライト中申し訳ない気持ちで座っていなくてはならない」とクレームを出した。
しかし物理的にこれ以上どうすることもできなかったので、スチュワーデスは黙って聞いていた。

悲劇は続く。
添乗員の隣に座っているお客がスチュワーデスに水を注文した。
スチュワーデスが水を手渡したときにお客は持つ手を緩めたため、その水は不幸にも添乗員の膝にまっさかさまに落ちていった。
添乗員は怒り、日本人のスチュワーデスに責任者を呼ばせた。
責任者はヨーロッパのある国のチーフパーサーで、謝罪と共に添乗員の言い分を黙って聞いた。
話に耳を傾けているうちに、添乗員はツアー中にお客を亡くしてしまったことを勢いで話してしまった。
チーフパーサーはその権限でビジネスクラスに席を用意した。

添乗員の気分が落ち着いてしばらくしてから、先ほどの日本人スチュワーデスがやってきて謝罪をし、添乗員の話しに耳を傾けた。
またもや添乗員は自分の苦しい気持ちとストレスを正直に話し、涙を流し、スチュワーデスはその話に同情したり励ましたりしながらずっと添乗員をいたわり続けた。
添乗員は最終的に「この航空会社を利用して本当によかったです」と言い残して飛行機を後にした。

添乗員とスチュワーデスの間に起こったことは何か

添乗員の立場から一連の流れを見ると、まず仕事上で耐えられないようなつらいことが起こった。
そして帰国便で少しリラックスしようと思っていたら、席が指定と異なり、水をこぼされた。
その後チーフパーサーが話を聞き、日本人スチュワーデスも付きっ切りでいたわってくれた。
最後には素晴らしいサービスだったと感じることができた。

一方、同じ流れを日本人スチュワーデスの視点で見るとどうなるか。
日本人スチュワーデスは、あるお客に「席が違う」とクレームを出された。
しかし満席だったのでとりあえず座ってもらい、善意の第三者が席を替わってくれるかどうか声をかけた。
席は確保できたものの、お客は「居心地が悪い」とクレームを重ねた。

そして手渡したはずの水がそのお客の膝にこぼれた。
そして「あなたでは話にならない」としてチーフパーサーに対応してもらった。
後にビジネスクラスに移ったそのお客に話を聞きにいくと、そのお客はクレームではなく自分のことを話してくれ、親身に耳を傾けることに集中した。結果、お客は満足してくれた。

この話の要点はこうだ。
クレームを発信して得られた結果(席の移動)は、満足できるものではなかった。
しかし自分のことを素直に語ったことで、チーフパーサーや日本人スチュワーデスから得られた結果(ビジネスクラスへの移動、話を聞いてくれる)は、満足できるものであった。

サービスにおける北風と太陽の法則

添乗員のお客は、1人で北風と太陽を演じた。
そして北風を吹かせたときは自分の思い通りにはならず、太陽を照らしたときには予想以上に満足の対応をしてもらうことができた。

しかもどちらの場合も、接客者はなんとかしようと行動した。
にもかかわらず、お客の態度ひとつで結果は良くも悪くも変わってしまったのだ。

私たちもよく思い浮かべてみると、クレームを発信することで本当に満足のサービスを得られたことはなかったのではないだろうか。
相手は渋々「うるさいからしょうがなく」やってくれただけではなかっただろうか。
私たちはサービスを受ける上で気に入らないことがあると、北風を吹かせてしまいがちである。
なぜならこちらはお金を払う立場であり、サービスを受ける立場であり、気に入らないことをされた立場であり、しかも相手はおそらく二度会うことのない未熟な接客者だという理由からだ。
遠慮なく北風を吹き飛ばすことができる。

しかしその結果は望ましいものではないはずである。
サービス利用が終わってからもイライラしてはいなかっただろうか。

逆に太陽を照らすことで満足できたこともあるはずである。
笑顔でサービスを受けたときに接客者は嫌な顔をしないだろうし、接客者が商品を落としてしまったときに拾ってあげたことはないだろうか。
恋人へのプレゼントを選ぶときに、素直に「わからない」と告白したことで親身に質問を受け、一緒になって考えてくれたような接客の経験も少なからずあるのではないかと思う。

プロである接客者も、接客者以前に1人の人間なのだ。
北風を吹かせば大地にしっかり足を踏ん張り、太陽を照らせばコートを脱ぐ。
クレームを出しても私たちは満足な結果を得ることはできない。
逆に素直に接すれば満足できる可能性は高い。
これが北風と太陽の法則である。

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