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サービスの選別

サービスを受ける技術1と2

サービスを選ぶとき、私たちは宣伝広告や知名度などの「相対的な価値」に頼ることが多いが、これを「主体的な効用」に変えて選ぶようにしてみる。

主体的というのは自分を中心にすること。
外の世界の情報や、サービスがどのように評価されているかではなく、自分を中心に考える。

効用というのは、役に立つか、立たないのかということだ。
サービスに価値があるのかどうか、人びとから批判を受けているのかどうかなどを意に介さずに、必要性があるのか、役に立つのかということを基準にする。

相対的な価値でサービスを選ぶと、後々必ず問題が発生する。
これに対し、主体的な効用があるものだけを選び取るというサービス利用を行えば、私たちのサービスに対する不満が急激に減少する。
というのは、価値で判断するというのは、自分以外の誰かに決定を委ねるということであり、責任転嫁の心理を生み出すけれども、効用で判断するということは、自分で意思決定を行うということであり、自己責任が生まれるからである。

たとえば、私はフランス映画が得意ではない。
あまり見る機会はないし、フランス映画を上映する映画館に足を向けない。
しかしフランス映画に価値がないとはさすがに言うことはできない。
ハリウッド映画にはハリウッド映画の、フランス映画にはフランス映画のそれぞれの価値がちゃんとある。

しかし私にとってフランス映画は効用がないと言うことはできる。
もう少し平易な言葉を使えば「必要ない」「役に立たない」「おもしろくないと思う」と言うことはできる。
だから効用を基準にすれば、「フランス映画は見ない」などとしてサービスを利用しないと決めることができる。

これが価値を基準にしてしまうと、価値があるのだから見て損はないなどという判断を行ってしまうことになる。
価値を手がかりにすると、効用が合っていなくてもサービスを利用してしまい、その結果「思ったほど良くない」などと不満を覚えることになる。
これが価値の選択と効用の選択の違いである。

価値で選んだサービスに対するクレームは迷惑

誰も大きな声では言わないが、実はサービス提供者にとっては、相対的な価値でサービス利用を決めたお客の(「効用が合っていない」という)クレームは迷惑以外の何者でもない。

サービス提供者は基本的に同じものを正確に、そして公平に提供する。
提供するサービスが何であるかは彼らによって決定されるので、逆算して考えると、そのサービスに高い満足を覚えるのは効用が合う人ということになる。
サービスというのはそのようにできているのだと言い換えることもできる。

たとえば小説は小説をよく読む人に、実用書は実用書をよく読む人により効用がある。
なのにもかかわらず、価値を基準にしてサービス利用した人に不満に思われ、ときにクレームとなることがある。
サービス提供者にとってこれほど割に合わない評価はない。
そのようなクレームに対応する労力と時間は、実際のところ効用の合うお客へサービスを提供する時間の削減につながってしまう。

しかし何よりも、私たちは効用が合わないサービスを利用したとき、費やした時間と費用が無駄になるということを学ぶべきだろう。
その上にクレームを発信するのであれば、さらなる時間と、ネガティブな労力を必要とすることは否めない。
しかもそこまで行っても、サービスから得られることは何もない。
はじめから効用が合っていないからだ。
結局、良いことは何ひとつとして生み出されないのである。

サービスを受ける技術2 約束が守られるかどうかを重視する

サービス利用を「主体的な効用」によって決めたら、サービス提供者が約束していることを守るかどうかを見るようにする。

サービス提供者の約束とはなんだろうか。
冒頭の実例の最後に登場したデパートのマネージャーは、スタッフに実例を示してこう説明した。
「例えば私たちは免税の手続きする。『あのお店に行けば必ず免税の手続きをしてくれる』ということ。それからこのアクアスキュータムのマフラー。イギリスのブランドだ。この店に来ればイギリスブランドの商品がセレクトされて売っているということ。これも約束だ。商品じゃなくてもいい。たとえば、このマフラーは十八ポンドと決まっている。十八ポンドのものは十八ポンドでお買い求め頂く。一ペンスたりとも前後してはならない。当たり前のようだがこれだって約束だ。それから、うちは寿司カウンターが併設されている。デパートだけど寿司を楽しむことができる環境を用意していますよというのも約束だ。こういった約束は何も大きな声で宣言されているわけじゃないが、確実に約束されてる」

そしてこう続けた。
「それから、イギリスにはイギリス人のルールがある。うちもそうだけど、どのお店だって閉店時間になると一分たりとも長引かせずにキッパリと店を閉める。お客様も追い出して。これだって時間という約束を守る店であるということの表れだ。これについて日本人の中には、サービスが悪いと言う人や、自分たちの権利を優先しすぎだと言う人もいるが、本当はそうじゃない」
約束には様々なバリエーションがあることがわかる。
しかしその中で私たちが特に注目して見るべきは基本サービスにある。

基本サービスというのは飲食店であれば食事、宿泊施設であれば宿泊や安眠、公共の交通機関なら移動のことである。
基本サービスさえ約束が守られるのであれば、私たちはサービスを受けることで最低限の効用は満たすことができる。
基本サービスに対する約束が守られていれば、私たちは効用を満たすそのサービスを安心して利用し続けることができる。
つまり効用はサービスを選ぶ基準になり、約束はサービスを継続する基準になる。

喜びや満足は約束できない

ここでロンドン事件を思い返してほしい。
洋服を引き取りに来た婦人と担当のイギリス人スタッフの間で起こった問題のことだ。
基本サービスは洋服の仕立てであり、仕立ての期日も守られたということは既に見てきた。

ここで注目したいことは、「顧客満足を約束することはできるのか?」ということなのだ。
その答えはノーである。

お客に喜んでもらおうという高い志で仕事を行う接客者はいる。
しかし彼らであっても、全てのお客に喜んでもらい、満足や感動を感じてもらうことはできない。
なぜなら、喜びや満足は人によって基準も結果も異なるもので、そのようなものを与えることができると「約束」するのは、サービスでなくても不可能なことだからだ。

「あなたの娘さんを必ず幸せにしてみせます」という、青年が恋人の父親に向かって投げかけるセリフはドラマや映画でよく見る。
しかし冷静に考えてみれば、このセリフは具体的に何も約束していないということがわかる。
せいぜい今の熱い気持ちを伝えているにすぎない。

サービスでは同じように、「オシャレ」「最先端」「知的」なども約束することはできない。
こういったことは基準がなく、人によって判断が変わるからだ。
つまり、ここで伝えたいことが何かと言うと、接客の態度によってサービスの是非や利用を決めるのはあまりにももったいないということである。

もちろんひどい接客は実際にあるし、そのような人からわざわざサービスを受けたくないと思うこともある。
それはそれで構わない。
しかし、上手にサービスを受けたいのであれば、約束することのできないものに感情的になるよりは、確実に約束されていること(基本サービス)が果たされているかどうかに注目した方がいい。
約束が守られるのなら、効用は満たされる。
サービスに求めていたものが報われる。
多少接客の不備不満があっても、総合的に見れば問題はないということになる。

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