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特別なお客になる技術

サービスを受ける技術9 サービスに手を差し伸べる

ありがとうの一言が特別客への道を開くということを書いた。
しかしさらに特別客として絶大な効果を発揮するのは、サービスを一緒に作るという行為である。

ピッチャーは1人では良い投球をすることはできないし、たとえキャッチャーがいても技術力に劣っていればやはり力を発揮できない。
私たちはキャッチャーという名のお客として、サービスを作ることに参加することができる。

ある優秀な接客者は、サービスは受ける方にも問題や責任があるし、お客も一緒に作っていくものなので、お客が協力的でないのに、接客者だけで良いサービスを行うことはできないと言っている。

私たちが行えることというのは何も難しいことではない。
場の空気を作るために必要なちょっとした一言でも大きな効果を発揮することがある。
ちょっとした行為でありながら最も効果的なのは、接客者に手を差し伸べることだ。

優秀な接客者はお客の前に立つ以前に、準備をしている。
知識の準備も心の準備も行っている。
しかし現場では常に予想しないことが起こるものであるし、そういったときに戸惑いを覚えることもある。ミスをすることもある。

たとえば、レストランで注文した品と違う料理が出てきたことは、皆さんも少なからず経験したことがあるのではないだろうか。
そういうときに、ムッとして文句を言い、注文どおりの料理を急いで作らせることは可能であるかもしれない。
逆に別に嫌いな料理であるわけでもないし、そのまま「いいですよ」と言うこともできるかもしれない。
ただそれだけだとどこか味気ない。
接客者はおそらく「助かった」という気持ちになるだけで、「良いサービスを提供できた」という気持ちにはならないだろう。

もちろんミスをした相手に「良いサービスができた」と思わせたり、勘違いさせたりすることが目的ではない。
大切なのはたとえミスが発生しても、良いサービスを経験することができたかどうかということで、そのためには接客者自身が最終的に「できた」と感じることも大切なポイントになる。

注文と違う料理に私たちは料理の説明を求め「口に合わなければ変更してください。美味しければそのまま食べてもいいですか」と提案することができる。
そして、本当に美味しければそれを認めて、勘違いがあったことに感謝すればいい。
ミスがあっても人を喜ばせることのできるサービス力を評価してあげれば喜ばれるだろう。
口にしてもいまいちだと感じるのであれば、改めて作り直してもらうことや、料理ができあがるまでにお口直しを出してもらうように提案することもできるだろう。

間違えたことに対しては取り返しがつかないが、取り返しがつかないからこそ、そのことをどうこう言ってもはじまらない。
間違いがあったことでサービスを上手く受けるように導くことは、私たちがお客としてできることなのだ。

なぜなら、このようなミスに対して接客者がまず行うことはミスの挽回で、とりわけ時間を取り戻すことであり、お客の提案なくして間違えた料理を「ちょっと食べてみてはいかがですか」と言うことができないからである。

サービスコンセプトに耳を傾ける

ミスを挽回することでもサービスを上手く受けるように変えることはできるが、より望ましいのは、普通の状態を良い状態にすることではないだろうか。

サービス利用しているときに、接客者と会話を行うことはよくある。
世間話であったり、接客者の仕事に対して日常的に話をするだけかもしれないが、サービスそのものの知識を深める質問もできるだろう。
たとえば、商品のこだわり、どのようなお客が利用しているのか、なぜこのサービスがはじまったのか、オーナーや社長のひととなり、どのような人材教育があるのかなどの話を聞き、理解を深めることはサービス提供者にとって嬉しくはあっても迷惑ではない。
もちろん詮索するように聞くのではなく、興味と相手を知りたい気持ちで聞きたいところだ。
これは人間関係にも似るところがある。

私たちは自分が好きな人、興味のある人のことをもっとよく知りたいと思う。
そして純粋に相手のことをもっと知りたい気持ちで話を聞く。
共感できるところには笑顔と同意で応え、考え方の違うところには「そういう考え方もあるのか」と理解する。
相手はあなたのことを余程嫌いでなければ自分に興味を持ってくれることを心地良く思うだろうし、世間話に比べてより熱心に話そうとするだろう。
これと同じことが、相手がサービスであっても接客者であっても起こる。
しかし、では相手のことをそれほどは思っていないときはどうだろうか。

個人の人間関係でも相手のことを特段深く知りたいとは思わないことがある。
自然相手を知ろうとする会話が減ってしまう。
しかし、それはひょっとすると相手のことを知らないためにまだ興味が湧いていないだけかもしれない。

つまり、興味があるから話を聞くという行為は、逆説的に話を聞くから興味が湧くこともあるとも言える。
サービスに特別な思い入れがなくても話を引き出し、興味が湧くことはあるだろうし、最終的に共感できなくても相手はそれで気分を悪くすることはない。
万が一効用が合わないことが明らかになったのであれば、別のサービスを探すきっかけにもなる。

この方法は私たちに何一つ不利益をもたらさない。それどころか、上手くすれば接客者と一緒になって(行動も動機も)サービスを作り出すことができ、お互い喜び合える関係を築くことを可能にする。

究極は提供者になる

特に小さなサービスでは、お客がサービス提供者になることで完全な特別客になることを可能にしてくれる場合がある。

ある不動産投資のコンサルティングを行う会社では、自社セミナーで実際に不動産投資を行ったお客を招き、物件の写真、間取り、価格、購入時の書類一式などを実例として提供し、本人もセミナー参加者の前で自分の経験を語った。

別のある英会話スクールでは、お客の中で目を見張る勉強法を行っているお客に頼み、そのお客のノートを他の生徒に向けて公開した。

またある別のサービスでは、お客のコミュニティとしてパーティーを開催したときに、パーティー主催者として任意のボランティアを募集し、お客の力を借りてパーティーを成功させた。

コラム14で紹介した障害者と高齢者に向けて旅行を提供している旅行社では、旅先で必ずお客に役割が与えられる。
たとえば旅行参加者に車椅子を押すよう依頼する。

利用するサービスがお客参加型であるかどうかは、もちろんお客として直接サービスを提供できるか、できないかを大きく左右する。
しかし、もし不動産投資会社がまだセミナーでお客に話してもらっていないのなら、お客の方から「こういうアイディアはどうでしょうか。何でしたら私が経験を話してもいいですけど」と提案することはできる。

そこまで思い切った提案は遠慮もあってできないかもしれない。
また無理をして行う必要もない。

ただ、小さなことからでもサービス作りに参加することはできる。
レストランでテーブルの上に料理の置き場がなければ、皿を脇によけることはできる。
ビアガーデンで大量のビールを運んできてくれたら、それを受け取って奥の席にまわすことはできる。
背の低い書店の店員が上段の本を取ることができなければ、手を伸ばしてあげることはできる。
新人の接客者に当たってしまったら、自分も新しいことをはじめたときのことを思い出して、優しく接してあげることはできる。

これらは親切な心を持ちなさいということではない。
サービスを一緒に作ることで上手く賢く利用し、特別客になった方がいいということである。
そのために私たちができることもちゃんと存在しているということである。

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