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サービスが社会にもたらす明日

プロボノの可能性


これまでに見た商売、公共、NPOなどによって提供されるサービスは、台風が来れば稲作に被害が出るのと同じ視点で明日を予想することができる。
しかしこれらとは別に、過去に頼らず全く新しいサービス提供の概念も生まれつつある。

2002年に公開され、ロングランで大盛況を受けた映画に、ダスティン・ホフマン主演の「アイ・アム・サム」がある。
母親が失踪し、知恵遅れの父親と共に生活する娘の感動的なストーリーで、この映画ではじめて「プロボノ」という単語を耳にすることができる。

知恵遅れの父親には子供を育てることができないと考えた(おせっかいな)児童福祉局により、養育権を巡って裁判で争うことになる。
知恵遅れの父親サムは、お金がないにもかかわらず弁護士事務所に出かけ、大声で依頼を受けてもらうようにお願いする。
周囲の弁護士の冷たい目を避けるために、サムに依頼された女性弁護士は苦し紛れに「これはプロボノなの」と言い訳をするシーンがある。
これがおそらく、映画でプロボノという単語が登場した最初である。

このプロボノは字幕で「無料奉仕」と翻訳されているが、実際にはボランティアが提供する意味においての奉仕ではない。
サービスである。

プロボノは弁護士費用を支払うことができない人々に対して、国選弁護人ではなく弁護士事務所がいくつかのケースを無料で提供することからはじまった。
これまで商売の論理に従って考えると、サービスは金銭との交換によって提供される。
この「金銭と交換」という条件を省き、無料で提供するようになったのがこのプロボノである。

しかし単に無料という条件があればいいわけではない。
サービスが知識労働者によって提供されているという前提を必要とする。
販売している洋服やCDを無料で提供するのではなく、弁護士による弁護、専門家による教育などがプロボノの対象になる。

ドラッカーは2004年から2005年にかけての日本経済新聞のインタビューで、「実は、コンサルタントとして時間の半分はプロボノ(無報酬の公益サービス)で、大学や病院、協会など非営利組織(NPO)へ振り向けてきた」(「ドラッカー20世紀を生きて 私の履歴書」より抜粋)と言っている。
このことからプロボノは、専門家である個人が無償、無料で知識(または活動)をサービスとして提供する行為を指すことがわかる。

サービスは技術や文化の変化によって提供する意味が変わる度に、より多くの知識労働者を必要としてきた。
また、サービスが商売を通じてもたらされるようになってから200年ほどの間に、知識労働者の量は増え、質は多様化した。

知識労働者によって不備が解消され創造活動が行われるサービスの社会では、知識労働者個人がプロボノという形でサービスを提供する可能性は決して低くはない。
発展の可能性はある。
しかしこの活動はまだはじまったばかりで、このサービスによってもたらされる社会貢献がどのようなものであるかを正確に予測することは難しい。

予測することができるのは、サービス提供の方法としてプロボノは試行錯誤されるであろうということである。
しかし予測は困難でも、正しい質問を行うことはできる。

プロボノは社会システムとしてどのような社会貢献を行うのか。
どのような社会貢献を行う必要性がプロボノに求められるのか。
プロボノはどのような不備を解消し、創造活動を行うのか。
その結果によってサービス全体にどのような影響が生じるのか、などは今後私たちが注目するべき課題となるだろう。

収益性の高い公共事業はその性格上、企業がそれを運用し、社会に創造的活動を行うようになる。
専門性が高いサービスでは、弁護士や会計士などの士業がうまく機能している。
専門職として社会的な不備を解消する。
公共が補償しきれない分野への保護、保障、支援。これはNPOが受け持つことになる。
または法によって定められた特殊法人が受け持つこともある。
NPOも特殊法人も単純なボランティアではない。
活動特性はボランティアだが、収益活動を行う法人である。

特にNPOが行うサービスほど、ダイレクトに社会貢献を謳っているサービスは他にない。
公共機関がカバーすることができない公共サービスは、NPOが代行して行うようになる。
NPOが行政の仕事を代行するという見方もできる。
よって、税務は優遇されなければならないと同時に、NPOに組織運営と資金調達、マーケティングの能力が求められるようになる。
ただしこれらの条件は、自治体の体制と法に依存する。
税の優遇や権限の委譲がなければNPOはうまくサービスを提供することはできない。

さらに、NPO全体として見たとき、運営、資金、マーケティングに関わらず、ボランティアベースのNPOは日本社会で発達しにくいという特徴がある。
そもそも社会的に奉仕することも奉仕されることも日本では定着していない。
奉仕されることを恥とする文化すらある。
実活動は奉仕される側の希望によって隠されることすらある。

これでは奉仕するボランティアが仕事の意義を見失ってしまう。
このような理由によってもボランティアベースのNPOは定着しにくい。
従ってNPO全体で見たときには、公共機関では補いきれないサービスを受け持つ絶対数は少ないと予想できる。

日本におけるNPOのサービス提供は、大手企業の不採算部門の切り離しによって起こる可能性がある。
このNPOの特性はボランティアではない。
サービスである。

たとえば環境対策、自然保護などは、事業規模が大きくなるに比例して社会責任が重くなる。
しかしこれらの部門は、収益を生み出さないばかりではなく、コストを生む。

このような技術を持つ不採算部門はNPO法人として独立し、生み出された技術を他事業に対しても販売することで独立採算を保つことができる。
逆に言えば、このような技術を必要とする似た事業同士の技術支援、経済支援によってかかるコストを削減し、成果を分かち合うことでNPOとしての活動が成り立つ。
しかし、このような形態のNPOは企業のサービスをアウトソースされることがあっても、公共のサービスをアウトソースされることはほとんどない。
企業サービスを代行することがあっても、公共サービスを代行する可能性は小さい。

公共のサービスが民営化する3つの条件は、実はサービス同士がうまく棲み分けするためのルールであることがわかる。
商売、公共、NPO、特殊法人などの提供者が提供するサービスは、その役割が重複しない。

そしてプロボノも、これらサービスがもたらすどの条件にも当てはまらない。
つまりサービスは社会的に、それを提供する機関が条件によって棲み分けされ、棲み分けされているからこそ競争せずに共生し、社会の不備を解消し続ける可能性を包含していると考えることができる。

このような棲み分けによるサービス発展の可能性は、身体の自動回復の機能に似ている。
体は外傷を負っても、けがの具合が軽ければ自分で体を治す力がある。
血液が製造されて、白血球が侵入する毒素を殺す。
血小板は血液の流出を止め、皮膚細胞は分裂して修復作業を行う。
リンパ液は細胞レベルのゴミを排除する。
それぞれにそれぞれの役割があり、その役割は異なる。
優劣を比較することはできない。

白血球は血小板よりも偉いとはいえない。
外傷に対してリンパ液が直接役に立たないからといって不要というわけでもない。
サービスは社会機能の白血球であり、血小板であり、皮膚細胞であり、リンパ液である。
商売であり、公共サービスであり、NPO、専門家、プロボノのことである。

それぞれ全てが社会構築と発展に必要とされ、社会の変化に環境適応して役割を変えながら不備を解消し続ける。

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