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第2の扉 - 卓越者が住む世界

個別化という考え方 人を1人の人間として見る

人を1人の人間として見る

卓越した接客者は目の前のお客を1人の人間として見る。
接客をする立場の人であれば、それはとても当たり前なことを言っているように聞こえるかもしれない。
しかし実際には、人が人を知ろうとするときにはまず、表面上の情報から入る。

洋服や髪型などの外見から判断しようとするし、名刺の役職や会話の内容から好みや性格を知ろうとする。
こうして積み重なった表面上の情報は経験という形で蓄積されて、多くの人は自分の経験で人を判断するようになる。
しかし皆さんもご存知の通り、自分の経験で判断する人物像は、その人の一面しか捉えない。
自分の見たいものしか見せてくれない。

素晴らしい接客者は「経験」では相手をしっかりと知ることはできないし、ましてお客としてのニーズを知るためには十分でないと考える。
そこで技術やスキルなどの能力を高め身につける。

たとえばコーチングを勉強したことのある人であれば、コミュニケーションを軸としてコントローラー、プロモーター、サポーター、アナライザーの4種類に分けるだろうし、ハーマンモデルを学習したことのある人であれば、脳の機能の違いによって右左脳の新皮質と辺縁系のどこを使うタイプであるかによって人を判断することになるだろう。

このような科学的、理論的なスキルや技術を取り入れて、より正確に相手を理解しようとする試みを類型化という。
類型化はもともと心理学の考え方で、最も初期の心理学では太っている人、やせている人、筋肉質な人、という外見で人格が変わってくるという考え方をしていた。
その後、心理学が発達して様々な考え方が生まれる。

たとえばNLP(神経言語プログラミング)と呼ばれる心理学では、人の物に対する知覚を視覚タイプ、聴覚タイプ、感覚タイプに分ける。
それぞれの人によってたとえば、同じ「りんご」を思い浮かべてもらう場合であっても、脳の中でりんごの映像が浮かび上がる人(視覚タイプ)もいれば、りんごの音からダイレクトに理解したり漢字の林檎が思い浮かぶ人がいる(聴覚タイプ)。
りんごをかじったときの歯ごたえや甘酸っぱい味が思い浮かぶ人(感覚タイプ)もいる。
それぞれの知覚が異なればコミュニケーションも変わるという考え方をする。

他にも様々な種類のタイプわけがある。
素晴らしい接客者はこのようなタイプわけを使いこなし当てはめることで、目の前の人を正確に知ろうとする。
これはカウンセラー、化粧品の販売員、医者、占い師などがよく行う方法で、自分のことをよく知らないお客に、自分自身を気づかせるわかりやすい方法にもなる。

しかし接客者としては、このような技術を駆使することができても、人に接する前提が技術・スキルであるということに変わりはない

卓越した接客者は、このような技術を身につけていることもあるが、最初から目の前の人を1人の人間として見る、個別化を行う。
個別化というのは類型化とは異なり、タイプやパターンに当てはめ、タイプやパターンを使って見分けようとする方法ではない。
最初から「あなたという人間を知る」「あなたがあなたであるところを見分ける」などという考え方からはじまる。
個別化の見方は、それぞれの人は「必ず全て違う」という考え方がある。

個別化の方法〜知覚を使う

卓越した接客者に共通する個別化の方法はない。
それぞれの卓越者がそれぞれに適した方法で個別化を行っている。

オステオパシーを使って治療を行う先生は、主に手を使う。
お腹や頭に手を添えることがあれば、肌から10センチほど話して体を探ることもある。
幼児教育の先生とスチュワーデスは聞くという行為を媒介する。
しかし彼女たちはどうやら、お客の言葉や意味を聞いているのではなく、その奥にある本質を聞いているようである。
美容師は、見る。
見ることからはじまる。
最初にお客を見はするが、幼児教育の先生やスチュワーデスと同じように顔や髪を見ているのではなく、浮かび上がる最高の様子をイメージしている。

彼らに共通しているのは、感覚を使っているということと、必ずしも目の前に見えるものを見ているわけではないということである。
感覚を使うというのは、類型化が理論的にタイプやパターンに当てはめるのとは180度違う考え方で、目の前の事実を見ているわけではない。
ということは、お客のニーズに応えるという考え方ではないということである。

感覚というと、私たちは理論で説明できないものや、なんとなくの感じを思い浮かべてしまう。
あやふやで今ひとつ信憑性に欠けるのではないかと勘ぐってしまう。
または、超能力や霊能力のように特殊な人間だけに備わっている、ほとんどありえない能力ではないかと考えてしまう。

ここでいう感覚は特別な力のことではない。知覚のことをいう。
知覚というのは、意味を読み取る力のことを指す。
私たちは毎日知覚を使って生活している。

たとえば、「う」「ら」「な」「い」という平仮名の一文字は、音を表す文字であってそれぞれに意味はない。
この音を表す文字が並ぶことによって、新しい意味がうまれる。

「うらない」と並んだときに、「占い」「売らない」だろうと推測する。
前後の文章があればより確実に意味がわかる。
ただの4つの音ではないと判断する。

音を表す意味しか持たない文字が並ぶことによって、言葉の意味が生まれる。
文字が並んだ瞬間に、「うらない」はただの音ではなく「占い」「売らない」の意味を持つようになる。
意味を判断し理解するものが知覚となる。

卓越した接客者は、それ以外の接客者が「うらない」という4つの音に注目しているときに、「占い」であるか「売らない」であるかを考えている。
前後にどのような文章が来るのだろうか、ということを予測している。
どのように判断すれば正しく、目の前の人をありのままに理解することができるのかということを考えている。

幼児教育の先生とスチュワーデスはお客の声に耳を傾けるが、彼女たちはその言葉や内容を聞いているのではない。
彼らの言葉の奥に存在する意味や根本的な原因に耳を澄ましている。
表面上の情報はきっかけにはなっても深い意味はないとする。

卓越した接客者は、お客を1人の人間として個別化するとき、自分に最も適した知覚を使う。
そして表面に現れた情報から本当の意味を読み取る。

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