Esmose

コラムを読む

営業の本質

営業の本質のふたつ目「良い・正しいという基準であること」2

1から3のケースはどれも組織体が前提にあり、4と5はどちらも個人である。
6はどうやら組織であるか個人であるかによって変化するらしい。

ということは、組織であるか個人であるかによって営業か営業でないかが決まる・・・というのは、実は正しくない

なぜなら個人で活動する営業マンもいるし、報酬という個人の利益のために営業活動を行う営業マンもいるからだ。

彼らの活動と行為をよく見れば、「~してもらう」こと自体に自分の利益ではなく、行動の前提に「良い・正しいという基準」があることがわかる。
これが2つ目の営業の本質である。

「基準」というのが一体何かというと、商品やサービス、宗旨、ボランティア活動である。

企業でもボランティアでも、宗教でも個人でも、営業の前提に「良いと思う、正しいと思うもののため」「~してもらう」という行為がある。
商品を買ってもらうのは、それを利用してもらうため。なぜならその商品が「良くて正しい」からという根拠に基づいている。
寄付を促すのは飢えた子供を救うため。それが良く、正しいと感じているからである。
信者になってもらうのも自分が属する宗教のため。その宗教を良いと思い、正しいと信じるからである。

良いとか正しいという判断は、人によってもバックグラウンドによっても変化するので、ここで言う「良い」「正しい」は本当にそうであるかどうかではない。
本人たちがそうだと信じることや、それなりの根拠や理論に強く魅かれることである。

ちなみに、「そんなことを言ったって、自分は特に自社サービスを信じているわけでもないし、良いとか正しいと思っているわけでもない」 という営業マンもいるだろう。

会社が「全体として自社サービスには意味があるし、良いことをしているという自信を持っている」 という場合、その目的達成の一部として営業があるのだから、一個人の感情の問題ではないと考えることはできる。

本来営業はそれを良く正しいと信じ基準にする人が、人に「~してもらう」ために行うものだ。
しかし、もっと効果的に大量に営業を行おうと考えたとき、その作業を切り出して組織化・体系化されることがある。
そのシステムを回すには人員が必要で、人員は「とにかく誰でもいいから来てもらう」ということはよくある。

システムが彼らに求めるのは提供する商品の良さ・正しさへの信頼ではなく、作業をこなしてもらうことである。だから一個人が賛同しない営業という状態もある

一個人の賛同は得られなくても、システム全体として「良い」「正しい」という全体像が満たされていれば、「本質的な『良い』『正しい』の条件は満たされている」と考えられる。

もちろん、その本質的なものを現場で生かすのは営業マンなので、経営者はどんな人を雇って、どのような教育を行うかということを考える必要はある。
そうでなければどこかでかみ合わない歯車が作業を中断させる日がやってくることになる。

トップに戻るボタン