Esmose

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大人について

子を思わない親はいない、と言う大人の都合

大人、特に子を持つ母親はよくこう言います。

「自分のお腹を痛めた子を愛していない母親なんかいない」と。

このブログを読む立場にある人は、
とても大きな違和感を感じると思います。


事実を書くと、これは間違いです。
でも、100%間違っているわけではありません。

冷静に考えると、

お腹を痛めたから、子どもを愛する母親
お腹を痛めたけど、子どもを愛さない母親
お腹を痛めて、最初は愛があったけど、だんだんイヤになる母親
お腹を痛めて、愛はあるけど虐待などをする母親

に分かれます。
1つ目がいわゆる
世間的な「普通」です。

そして、この発言をする人は、
何だかんだいって、愛のある母親に育ててもらい、
自分も愛のある母親になっている人です。


そういう人に、
ではなぜ、

「生んですぐ殺す事件があるの?」
「子を捨てる人がいるんですか?」
「虐待するんですか?」

と聞いても、うまく答えることはできません。
せいぜい、その母親にも色々と事情があるのよ、
などと言うところが精一杯です。

しかし、それでは
愛していれば虐待していいし、捨てても言いし、殺してもいい
ということになってしまいます。


古代ローマで最も有名な
ジュリアス・シーザーはこう言っています。

「人は自分が見たいものだけを見る」

母は愛があるもの。
そうであるべきもの。
と、信じている人はそういう見方をし、
それを伝えます。

でも、それは事実として間違いであることは
上に書いたとおりです。
色々なタイプがいるわけです。


何が言いたいのか。

そういう「正しそうな」意見に
負けたり、
傷ついたり
しなくていい
いうことです。

信じる必要も、
自分の考えが間違っていると反省する必要もありません。

大人はわかった顔でそう言います。
何も、母親についてだけではありません。
そういうふうに言うものなのです。

しかし、人は、自分の見たいものを見て、
話したいことを話すということです。
それが真実だとは限らないわけです。

むしろ、
そういう自分には当てはまらないことを
親切心で言う人は、
それによって、どれだけ受け取る子どもが傷つくかを
全く考えていない
ことが多いのです。


愛していないものは愛していないし、
捨てた事実は愛で正当化できません。
虐待する事実は愛でカバーできません。

もし、将来自分が大人になって
「愛はあったんだろうな」と
自分で納得するのならそれは構いません。
しかし、正しくない意見にくよくよ悩むことはありません。

「お前はまだ子どもだから何も知らない」
と考えているから、大人はちょっと賢そうに
言うだけです。

たとえ、完全に正しくなくても
みんなそうだから正しいとか、
自分が経験したから正しいと、
自分の言いたいことを言うものです。

あなたのことを想って
心から親切にそう言う人もいます。
しかし、親切だから正しいというわけじゃない。


必要なことは、真実を見抜く目です。

大人のもっともらしい言葉に紛らわされないこと。
自分で本当はどうなんだろうと
考える力をつけること。

自分で判断し、
自分で決めて、
自分で「本当のことは何か」を知る力をつけることです。

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