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第2の扉 - 卓越者が住む世界

成果の追及による顧客満足 顧客満足を生み出すもの


顧客満足を生み出すもの

素晴らしい接客者はお客に高い満足を生み出す。
卓越した接客者もお客に高い満足を生み出す。
しかし、素晴らしい接客者の生み出す満足と、卓越した接客者の生み出す満足には大きな違いがある。

素晴らしい接客者はプロセスから満足を生み出す。一方の卓越した接客者は成果から満足を生み出す。
ただし、プロセスがサービス提供の途中で、成果が提供後という意味ではない。

プロセスというのはサービスを提供する過程で満足が生み出されることで、それはサービスを提供する「接客」によって直接満足が生み出される。

成果というのはサービスそのものによって満足が生み出されることで、接客によってではなく「サービスそのもの」によって顧客満足が生み出される。
成果によって生まれる顧客満足では、接客は補助作業でしかない。

接客もよって生み出される満足とサービスによって生まれる満足は違うのか?
これは一体どういうことなのだろう。
実例を見ながら考えてみたい。

ラグジュアリーホテルとしてサービスの定評が高いあるホテルでは、レセプションやトイレの表示が館内にない。
これは「もうひとつの我が家」というサービスコンセプトを実現するために、そのような表示を設けないことを旨としている。なぜなら、「我が家」にレセプションやトイレなどの表示があるというのはおかしいからである。
しかしただ表示がないだけでは、いくらサービスコンセプトに忠実であるとはいえ、お客は館内で迷い、不快感を感じてしまうだろう。そこでこのホテルでは、ホテルマンを配置していち早くお客のニーズを先読みし、声をかけることで不備が生じないようにしている。
トイレを探しているお客は、この接客者の案内と先導によって無事トイレにたどりつく。

このホテルの接客は、お手本や見本としてサービスを扱う者の間ではよく取り上げられ、高い評価を受けている。
そして実際にこの接客を受けたことがある者は高い接客力に満足する。
しかしこれが実は素晴らしい接客であり、卓越した接客ではないことに気がついている人はほとんどいない。

サービスは接客よりも先に形作られるので、「もうひとつの我が家」というサービスコンセプトに忠実に、表示を明記しないことは間違いではない。
むしろ非常に正しい。
このホテルではそこで生じるお客の不都合に対して、接客者の先読みや心配り、声掛け、案内、先導などで対応している。
このことももちろん間違いではない。
ただ、ここでわかることが1つある。

それは、お客はたとえ声をかけてもらえたとしても、案内してもらっても、必ず一度迷うということである。
必ず一度は不都合が生じる。
この不都合に対して接客者はそれを解消し、より満足してもらうために案内や先導を行う。
丁寧に対応する。
サービスの構造上必ず生まれる不都合に対して、毎回対応することでお客を満足へと導く。

つまり、接客の力によって満足は生み出され、その満足が生み出される前提に必ずお客の不都合があるということになる。

卓越した接客者なら、この不都合に対して違った対応を行う。
たとえば、チェックインの際、またはトイレを探して迷ったときにでも、必ずサービスコンセプトを先に伝えるようにする。

「私たちは『もうひとつの我が家』というコンセプトでサービスを提供しています。そのため案内表示のプレートを設けておりません。もし何かお探しでしたり、お困りのことがございましたら、接客担当のスタッフがお手伝いいたしますので何なりとお声掛けください」などと、はじめからサービスが何であるかを伝える。

これによって、お客はサービスがどのようなものであるかを理解できるのでストレスは軽減される。
迷ったときの対処方法を先に知ることができ、接客者に声をかけることを申し訳ないと感じることもなく、あらかじめ不都合に対応できる気持ちでサービスを受けることができるようになる。

接客はその補助を行うだけにすぎなくなる。
この方法は目に見えるお客の満足度を下げる。
「ありがとう」「助かりました」の声を減らすことにつながる。
はじめから不都合を生まないようにするからである。
よって素晴らしい接客者は、お客に喜んでもらう機会を逃すことになるのでこの方法を取らない。

しかしそれではお客に不都合が生じるという状態は放置されてしまう。

何か困っていることがある人を助けたとすると、相手は感謝するだろう。
それが接客であれば満足したり感動したりするかもしれない。
これが素晴らしい接客者が顧客満足を生み出すときの前提になる。

この前提に対して素晴らしい接客者は丁寧な対応、コミュニケーション力の充実、困っている相手を見分ける眼力、心配りを行うことができるためのホスピタリティの習得などに力を入れる。
まさに文字通り素晴らしい接客者になろうと努力する。
これがプロセスの追求による接客である。

卓越した接客者は、何も困ることが起きないようにあらかじめ手を打つ。
困ることがない相手は感謝することがなくなるか少なくなる。
それが当たり前だと思うようになる。
お客は接客者からの目に見える満足や感動を感じなくなる。

卓越した接客者はしたがって、あらかじめサービスが上手く機能する方法を考え実践する。
お客に喜んでもらうことを行うのではなく、お客に良いことを行う。
良いことはサービス提供を通じてお客に感じてもらうことになる。
これが成果の追求による接客になる。

圧倒的な成果

成果の追求によって顧客満足を生み出すようにすると、プロセスの追求によってお客が感じる満足や感動がなくなるか、少なくなることがある。
それでも卓越した接客者がお客に高い満足を感じてサービスを利用してもらうことができるのは、その成果が圧倒的だからである。
それでは、その圧倒的な成果はどのような世界観から生み出されているのか。

満足という感情は、ニーズを満たすことで作り出される。
よって、素晴らしい接客者も卓越した接客者も、お客のニーズを満たすというところは変わらない。

素晴らしい接客者は類型化によってお客を判断するため、これまでの経験とお客のタイプによって見極め満足に結びつく接客を提供する。
思い出してみてほしい。
素晴らしい接客者はプロセスを追及する。
お客に喜んでもらうことを旨とする。

お客に喜んでもらうためには、お客が望んだものを満たすことである。
したがって、素晴らしい接客者によるニーズの確認は、お客との会話の中で、お客が最も強く希望するものを明らかにする。
そして最も強い希望(ニーズ)を満たすことでお客に喜んでもらう。

これに対して卓越した接客者は、個別化によってお客を知覚する。
お客の本当のニーズはお客が知っているかどうかわからない、というところからはじめる。
強い希望は強いニーズであるとは限らないとするところからスタートする。
そして、お客との会話の中から自分が知覚したものを、相手の最高のニーズとして(相手がそれを知っていようがいまいが)明らかにし、ベストマッチなサービスを提供する。

ワースという19世紀のファッションデザイナーがこのように紹介されている。最後の二行に注目してほしい。
  
19世紀のオートクチュールは、裕福な女性が、技術の高いプロに服を作ってもらっていたということだけではない。
オートクチュール・サロンの雰囲気は、通常の仕立て服のサロンと大幅に異なっており、次のように説明されている。
「ワースのオートクチュール・サロンでは、貴婦人が突然、店に入っていって、『グリーンの絹のドレスを金曜日までに』と一方的に注文するわけにはいかない。ワースと会うには、まず最初に予約を取らなくてはならない。ワースは顧客自身のアイデアは無視することが多く、その人に一番似合うと思うスタイルを彼がデザインし、仕立てた」

(「パリ」の仕組み 川村由仁夜著より抜粋)

卓越した接客者(この場合はオートクチュールのクチュリエ)が、お客のニーズを個別化による自らの知覚で行っていることがわかる。
そして圧倒的な成果によって顧客に支持されている。
本質的なニーズを知覚(の個別化)によって見出してから、実際にサービスを提供する「成果の追及」に対しても続けて紹介している。

オートクチュールは、価格面も含め様々な面で特別だった。
クチュリエが顧客を扱う方法、デザインのプロセス、アトリエの所在地、生地の高級感など、どれもが通常の店とは異なっていた。
たとえばワースのサロンでは、日中でも窓をふさぎ、ガス灯の光で部屋の中を明るくしていた。
それは、夜会服を試着するときに、晩餐会や会合に出たときと同じ状況をつくるためだった。

(「パリ」の仕組み 川村由仁夜著より抜粋)

成果を追求するために、ワースが何をしていたかということが明らかにされている。
もちろんこれは成果の追求の一部でしかない。
卓越した接客者は成果をもたらすのに関係する物事に対して変質的に取り組む。
その積み重ねが卓越した接客者をして、圧倒的な成果を生み出す。

逆に考えてみると、卓越した接客者は圧倒的な成果を出すために追及するのであって、顧客満足はその成果によって二次的に生まれるにすぎない。
プロセス上の顧客満足を無視することはないにしても、特別に重要視したりすることはない。

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