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プロセスの対策 - 接客

接客の改善・正確なサービス提供

しくみの改善に着手したら、同時かそれ以降に接客の改善に入る。
接客の改善には5つの視点がある。

第一に、正確にサービスを提供する作業。
第二に、マイナスを挽回する作業。
第三に、サービスの枠を超える作業。
第四に、サービスの提供を断る作業。
第五に、人事としての接客者の変更。

第一から第四までは接客者に必要とされる能力の順でもある。
接客が原因でサービスが上手く機能しない場合、それぞれの段階の接客者が、行ってはならない段階以上の仕事を行っていることがある。
あるいは第五の理由として、根本的に人材配置が間違っている場合がある。

正確にサービスを提供する作業

正確なサービスは、基本サービスを正しく提供することを指す。
そして、そのプロセスはしくみに沿って行われることを指す。
この2つはほぼ同時に行われる。

サービスの提供がうまくいかない場合に接客として改善できるのは、サービス提供のしくみに則ってサービスを提供しているかどうかについてである。
基本サービスに問題がある場合は、根本的にサービスを再定義しなくてはならなくなる。
この場合に接客(者)ができることはない。

しくみは、最初に決めたものであるにしろ、改善したものであるにしろ、接客はそのルールを守って基本サービスを提供する。
接客者各個人の裁量や、良かれと思う方法でサービスを提供しない。
しくみのマニュアルを守らなくてはならない。
したがってしくみが改善されたとき、接客者に対して行うことはしくみの徹底と、ルールを守ることにある。

正確にサービスを提供するということは、正確でない提供方法を改善するということでもある。
いくらしくみを正確に実行しても、現場では接客に統一感を感じられないことが起こり得る。
各接客者が提供するサービスに差があると感じることがある。
接客が統一されない原因はしくみの不徹底にあるけれども、根本的な問題はそれとは別のところにある。

その原因は5つある。

ひとつ目はコンセプトに適った行動の不徹底であり、
ふたつ目は接客者としての役割が認知されていないこと。
みっつ目が顧客満足を基準にした接客を行っていること。
よっつ目は商売主体の接客を行うこと。
最後は「お客様は神様」などの誤ったサービス認知を基準にしていること。

コンセプトに適った行動の不徹底

コンセプトに適った行動の不徹底というのは、接客者がサービスのコンセプトを理解しておらず、説明もできず、ハードや基本サービスを理解していないという前提のことである。

コンセプトを理解、説明できないということは、そのサービスがなぜ存在するかを理解していないということになる。
接客者がこの状態でお客に接すると、お客は少なからず不安を覚える。
この不安はそのまま信頼の欠落、サービス継続利用の停止につながる。
これによってサービスが上手く機能しなくなることがある。

またコンセプトの無理解は、接客者自身のサービスに対する疑問や反感に結びつく。
反発の多くは正しい理解の欠如からはじまる。
具体的にはハードや基本サービスの批判を呼び起こす。
接客者が自分の提供するサービスを支持せずに反発するということは、そのような接客者を持つサービスをお客が信用しなくなるということである。
サービスが正しく提供されたとしても、お客は不安や不満足を抱えたままサービスを利用することになる。

接客者の無理解と反発という状態を見直し、改善することが接客改善の第一歩になる。
第一歩はスキルの改善ではない。
心持ちやモチベーションの改善である。
これが、接客が原因でサービスが上手く機能しなくなる場合のひとつ目である。

接客者としての役割が認知されていないこと

コンセプトが理解されていないことと同じように、自分の仕事とその役割、意味を理解していないことによって、サービス提供が機能しなくなることがある。
自分の仕事の意味、意義がわからないままに仕事に取り組むと、仕事は早い段階でマンネリ化し場合によっては仕事内容に反発を覚え、モチベーションを下げる。
そのような接客者が扱うサービスは、利用者が支持しないことによって機能しなくなる。

仕事の内容や手順のスキルは、仕事を実行するために覚える必要がある。
しかしこれとは別に、サービスを提供する意味、仕事の意義、何のためにそれを行い、どのような成果を得ることを期待されているのかを理解するように改善する。

3人のレンガ職人の有名な話がある。
レンガを積み上げている3人のレンガ職人に「あなたは何をしているのですか?」と問いかけたことに対して、ある1人は「レンガを積み上げている」と言い、2人目は「家族を養っている」と言い、3人目は「偉大な建築物を作っている」と言ったストーリーの、1人目の答えを避けなければならない。

レンガを積み上げるという作業には、何のためにレンガを積み上げるのかという意味も、自らの仕事の意義もそこには存在しない。
現在の接客がこの状態にあるかどうかを見直し、あるのであれば改善する。
2人目の答え「家族を養っている」は仕事の「意義」を表し、3人目の答え「偉大な建築物を作っている」は仕事の「意味」を表している。

一般的な自己啓発や成功法則では3人目の答えが重要だとする傾向が強いけれども、接客を構築するためには両方の答えを必要とする。
そして、両方の答えを持つ接客者の中でも、意義の要素がより強い接客者にはそれを活かせる仕事を、意味の要素がより強い接客者にも同じようにその答えを生かすことのできる仕事を与えるようにする。

顧客満足を基準にした接客を行っていること

接客の仕事は、サービスの提供だけではない。
お客とサービスを一致させることが役割になる。
しかし、顧客満足は人間関係に関する役割であって、接客者の仕事としては必要だが、サービスの提供を考えるときは優先されるものではない。

一見、顧客満足を考えるサービス提供は正しく思える。
利用者には支持されるだろう。
しかし、利用者に支持されながら、サービスが機能しなくなることがある。

顧客満足は多くの場合、均一化できない。
つまり、画一的で統一的なサービス提供によって、全ての人に顧客満足を感じてもらうことは物理的に不可能であり、現実的ではない。
可能な場合があるとすれば、マーケティングの活躍により、提供するサービスに対して効用がぴったりと一致する利用者だけがサービスを利用する場合である。
しかし実際には、マーケティングがどんなに素晴らしい働きを行っても、この考え方は不可能である。

画一的なサービスを提供するということは、サービス提供上は決まりごとである。
お客の反応も、感謝から非難まで様々に分かれる。
このような顧客の全員に満足を提供するためには、多くのサービス本などが示すように、接客のコミュニケーションや人間的魅力によって満足度を上げなくてはならない。
つまり、顧客満足を中心に接客を行わなくてはならなくなる。
ところが、この方法は根本的に2つの大きな過ちを含む。

ひとつは、サービスを正しく提供しているにもかかわらず、接客者が(顧客満足という)別の努力をしなければならないということは「サービス提供では十分ではない」という前提が作られるいうことである。

本来サービスは、提供すると決めたものを提供することで社会的に機能する。
それを完璧に提供しているにもかかわらず、別の努力を必要とするということは、結局前提としてのサービスに不備があるということになってしまう。
不備のあるサービスを利用者は利用しようとは思わなくなり、サービスへの信頼は損なわれる。

もうひとつは、接客努力の矛盾にある。
サービスが完全であればあるほど、効用が一致する利用者はサービスを利用することで高い満足感を感じる。
つまり接客者による努力などは特段必要としない。
逆に満足が十分でないのは、サービスの効用が合っていない人ということになる。
効用が合わないことで不満足を抱えている人に対して、より大きな接客の努力を必要とするということは、顧客満足のための努力、時間、コミュニケーションを、サービスを支持してくれる利用者には使わず、サービスを支持しない利用者に対してより一生懸命行うということになる。

このような状態になったとき、サービスを支持してくれている利用者が去る。
親しくすれば避けられ、不満足であればいい顔をされるサービスを支持する人はいない。
これが、接客が顧客満足を重視することによって上手く機能しなくなる場合のメカニズムである。

顧客満足中心の接客を見直す場合は、まずこのメカニズムを接客者が理解する必要がある。
そして、マネジメントとベテランの接客者によって、誰にサービスを提供するべきか、誰に満足してもらうべきかということを明らかにする。

その方法はマニュアルに反映するよりはむしろ、定期ミーティングなどで確認し、ディスカッションし、経験を共有し更新し続けることで解決につながる。

商売主体の接客を行うこと

顧客満足の場合と同様、接客の仕事には商売の役割がある。
セールスとしての役割を中心に接客を行った場合、サービスが上手く機能しなくなることがある。

人がサービス提供を望んだときに、正しいサービスの提供よりも売り上げや契約数、セールストークなどを優先する接客者は、正しくサービス提供を行うことができない。
セールスにもその仕事の成果を出すレベルがあるが、そのレベルの低い、特に押し売りとぺこぺこ、自己主張の、3つのケースの場合は、サービス提供前にサービス利用を断念させる原因になる。

売るということは、必ずしも提供するサービスの内容の良し悪しに関わりを持たない。
担当が気に入った、他のサービスを知らず今さら知る気もない、押しの強さに断り切れなかった、上手く乗せられて、などの理由で販売することは可能である。
または、会員専用のお得な割引券やスタンプカードがあるから買い続けるという人もいる。

しかしこれらの方法のどの場合も、基本サービスを提供するということに関わりがないことがわかる。
基本サービス提供以前に、販売によって物事が完結していることがわかる。
基本サービスを支持しているかどうかは重要視されていないことが明らかである。

商売上は顧客離れが起きず、収益を上げることが一定の成果になる。
顧客が満足を感じ続け、売れ続ければ成功となる。

しかしサービスは、提供すると決めたものを提供し続けることに目的がある。
接客者が商売の考え方によって販売で完結する行動を取ると、サービスを正しく提供しているにもかかわらず利用者はサービスに対して不信を抱くようになる。

商売主体の接客を改善する場合は、しくみに定める。
接客者の役割と仕事の、サービスと商売のバランスを明確に決める。
サービスが上手く機能していないということは、このバランスが悪い可能性があり、比重を変えることで対応する。

ただし、一度定着した現場の仕事の流れは簡単に変わらないため、改善したしくみに沿って仕事を行うことができるように工夫する必要が生まれる。
たとえばマネージャーの定期チェック、報告書の書式の改善、オピニオンリーダーの設定、定期ミーティング、期限付きのスキルの課題とチェックなど、提供するサービスと接客の状態に適した方法を取り入れて接客を改善する。

お客様は神様などの誤ったサービス認知

最後は、誤ったサービスの概念に接客者が縛られる場合のことである。

たとえばお客様は神様であることが、正しく、良いサービスであるとされている。
この認識は接客者もそれを正しいと信じているのと同様に、お客にもそれを信じている人が多いというところが問題を複雑にする。

提供しないと決めているものを望まれても、お客様は神様であるので提供のために努力しなくてはならず、一生懸命提供してしまう。
提供できないとクレームになり、接客者によっては自分を責め、ストレスを抱えたままに仕事を行うようになる。
身も心もボロボロになった接客者が提供するサービスは、上手く機能しなくなる。お客はその様子を見て不信感を抱くようになる。

アメリカにも「Customer is always right」(お客様はいつでも正しい)という言葉があるが、日本の「お客様は神様です」という言葉は、松下幸之助によって定着した。
この言葉はもはや、経営哲学だとすら考えられている。

松下幸之助が電球を作り、販売し、広げた戦前、日本の家庭には電球による明るさがなかった。
一部の金持ちではなく、庶民が明るい暮らしを行うことができるように、というコンセプトで電球を販売し提供していった。
貧富の差が現代よりも激しいこの時代、電球のない一般家庭の人々は社会的に不当に低い地位にあったといえる。
その人々に対して、各家庭に電球を広げる夢がある、皆さんもそれを受け取る資格がある。皆さんは低い地位ではなく、むしろ神様なんだ、という考え方はうまく通用した。

時が流れて戦後、高度経済成長時代に入るとテレビ、洗濯機、冷蔵庫の、三種の神器を購入することが夢であり、ステータスとなった。作れば売れる時代だった。
商売上お客様は収益をもたらす神様であり、お客様のわがままは商品の発展に役立つ商売のヒントとして顧客ニーズとなった。
作れば買ってくれ、口を開けばヒントを出してくれる。
まさに神様そのものだった。この時代にもお客様は神様という考え方が立派に通用した。

もともと商売視点では、お客様は神様である。
その根本的な理由は商売の目的が収益を上げることにある。
収益はお客によってのみもたらされる。
だから商売活動に必要なマーケティングは必ず顧客視点、マーケット志向で戦略を立てる。

このような考え方は現在、2つの理由から当てはまらない。

ひとつは、サービスが多様化する時代になると比例して消費も多様化し、お客は自分のこだわりに対してより消費を行うようになったからである。

戦前のように消費者は不当に低い位置になく、高度経済成長期のように企業が作るものを買っていればステータスになるということももはやない。
嗜好の多様化によって消費者の声は以前ほどニーズとして意味を持たなくなった。
ニーズの多様化によって、ニーズそのものは顧客の声の反映ではなく、新しいニーズの創造をより求めるようになった。
この「新しいニーズの創造」は、現代サービスの「潜在的な不備」を解消する姿勢と似ている。
これによって、かつて神様だと定義されてきた条件が、現代になってほとんど当てはまらなくなった。

もうひとつの理由は、お客様が神様であるというのは商売上の考え方であって、サービス上の考え方ではないということにある。
お客様が神様であるのは、彼らが収益をもたらすからである。
よく考えてみるとそれ以外の理由がないということがわかる。
社会に貢献する人々だから神様なのではなく、商品を使ってくれるから神様なのではなく、買ってくれるからこその神様である。
買ってくれない人は神様ではない。お客様でもない。

商売の目的は収益にある。
販売することにある。
買ってくれてこその神様であるということは、この考え方はサービスの考え方ではなく、商売の考え方だということである。

したがって接客者がサービスを正しく提供する場合、お客様は神様であるから努力をしなくてはならないという行動を行う必要はない。
まして、間違った認識を一生懸命行うことで自らにストレスを溜め、仕事を楽しくないものにし、自信を失わないように気をつけたい。
こういった行為はサービスをより機能不全にする。
それによってサービスを楽しみにしている利用者に対し、信頼を失う行動をしてしまっていることに気がつかなくてはならない。

特にこのような行動を推進するマネジメントが誤った認識に気がつき、訂正し、コンセプトに沿った方針を示し続けることでサービスの状態は改善される。
それでもお客様を神様であるとするならば、神様であるからこそ本当のお客様であるお客を裏切らないサービスを、継続的に提供し続けることを考えるようにしたい。

接客者はこれら5つの誤った要因を改善し、しくみに則ったサービスを正しい認識と手順で行うことで、サービスの機能を回復させることができる。
この作業を繰り返すことで経験を蓄積し、正しいサービスを正しく理解し、提供できるようになったら、はじめてマイナスを挽回する作業を行うことができるようになる。
それがクレーム対応である。

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