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第2の扉 - 卓越者が住む世界

本質を追及すること

本質を追求しようとして何かを行う卓越した接客者は実はいない。
彼らは2つの行動を身につけていて、それが結果として本質の追求につながっている。
2つの行動とは「マルコポーロのように行って、見る」「氷山の下を調べる」ということである。

彼らはこの2つを当たり前のように行う。しかも継続して行う。
この2つの方法を通じて彼らは学ぶ。
その様子はそれを行わない人が見ると変質的にすら映る。
そこまでするか、と思わせることもある。

彼ら自身は、強みにしたがって学習をするのでそれを特別なことだとも、やりすぎであるとも考えていない。
むしろ、毎日の当たり前のことであり、楽しみすら覚えることも少なくない。

マルコポーロのように行って、見る

何かを学ぶとき、その方法は大きく分けて2つある。
ひとつは行動から学ぶことで、もうひとつは知識を身につけることで学ぶことである。
「マルコポーロのように行って見る」というのは、行動から学ぶ方法にあたる。

接客者であれば誰でも、現場で仕事をすることで学ぶことはたくさんある。
日々学んでいる。
これも行動から学ぶことに含まれる。
しかし卓越した接客者は仕事ではなく、自分の強みを生かすヒントになるものを得るために実際に足を運び、自分の目で見て空気を感じることで学ぶ。

卓越した接客者である幼児教育の先生は、自分の強みを生かすのに必要なものを得るため、様々な場に足を運ぶ。
セミナーなどに参加する。
または人に会うようにする。

彼女は二人の息子の母親であるため、かなり時間が拘束されている。
お金の制約もあるし、時間の制約もある。
宿泊を必要とする距離を自由に行き来することはできない。
しかしそれでも、絶対的な必要性があれば家内作業を準備し、日帰りで帰ってくることができるようにプログラムする。
そしてたとえば、完全な自然分娩で3万件の出産立会いの実績を持つ産婦人科の先生の話を聞くために、横浜から愛知県岡崎市まで往復5時間をかけて日帰りする。

ビジネスマンや中小企業の経営者、大企業の管理職であれば、ビジネスセミナーなどに参加することでスキルを身につけたり、能力アップを図ったりすることがある。
あるいは人脈を広げるために交流会や、出版記念パーティーなどに参加することがある。

しかし卓越する接客者はそのような目的で足を運ぶわけではない。
彼らは、成果を完璧なものにするために足を運ぶ。
または強みを磨き、発掘するために観察し、空気を感じに行く。
たとえば、視点の角度を変えるために足を運び、技術を身につけるのであれば卓越するために観察する。

これは一般のセミナー参加者が、講師よりもセミナー内容の知識が劣り、教えてもらうことを目的として足を運ぶのに対し、卓越した接客者は、講師とは異なったスタンスで視点を変えるために参加する。
セミナーではなく、同業他社のサービスを受ける場合も、普段受けている何かしらのサービスから感じるものがある場合も同じように行って、見る。

視点が変わったところから彼らは何かを学び、必要であれば技術を身につけて実践してみる。
そしてそれが、既に自分の奥底に備わっている本質に近づくことができるものかできないものかを判断し、不要であれば捨て、必要であれば古くして新生する。
これが卓越した接客者が学ぶ1つ目の方法で、彼らは行って見るということを習慣化し、継続する。

氷山の下を調べる

氷山はよく言われるように、海上に見えている部分はごく一部であって、目に見えない海中にはその何十倍もの質量があるとされている。

卓越した接客者は、氷山の眼に見えない部分の方がはるかに大きいように、強み・成果・世界観には未だ知らない未開拓な場所があるということを知っている。
そしてその場所を知らなければ完全ではないことを知っている。
氷山の下を知るというのは気の遠くなるような作業で終わりがない。
しかし彼らは知ることを止めない。
強み・成果・世界観を完璧にすることを終わらせない。

氷山の下を発掘する方法は、小学生が国語辞典を使って単語を調べる方法と似ている。
基本的には調べ、学ぶというステップを踏むのだが、それだけでは終わらない。
その方法は、卓越した接客者に共通している。

特に低学年の小学生が辞書を引くとき、意味を説明する文章の中に知らない単語を見つける。
そうすると最初に調べた単語の意味がよくわからなくなってしまう。
そこで、意味を説明する文章の中にある、知らない単語をまた辞書で引く。

ところが、その単語を説明する文章の中にもまた知らない単語が見つかる。
そうするとその単語の意味を理解しなくては、結局最初の単語の意味がわからないことになってしまう。
こうして関連する単語をどんどん調べなければ、意味を知ることができなくなってしまう。

最初の単語は海上に見える氷山であり、枝分かれしてどんどん増える未知の単語は、海中の大きな氷山の塊である。
海中の氷山は、関係する物事をひとつひとつクリアにしていくことでしか明らかにすることができない。
単語と異なるのは、ひとつひとつ知っていくことにかなりの時間がかかるということである。
つまり、卓越した接客者は氷山の下を調べることにかなりの時間を費やす。

素晴らしい接客者の中には、氷山の下を調べない人がたくさんいる。
彼らは強みである氷山に注目するのではなく、海上の氷山の上に何を築くのかに注目する。
築き上げるものは技術やスキルであって、具体的にはコミュニケーションやホスピタリティであることが多い。
彼らは氷山の上に人工物を重ね上げることで全体の高さを作ろうとする

卓越した接客者は氷山そのものを明らかにすることで、元からそこにある全体の高さを知ろうとする
これが両者の住む世界と行動を分けてしまう。
卓越した接客者が強みと本質を明らかにする間に、素晴らしい接客者は少しの強みの上に延々と能力を積み重ねる方法を取る。

本質を知ることは、世界観を深める

古くし新生する行動は、卓越した接客者の世界観を広げることにつながった。
マルコポーロのように行って見る、氷山の下を調べる、という本質を知る行動は、彼らの世界観を深めることにつながる。

本質を知ろうとする行動は、真摯さの中の真実を基準とし、誠実さを前提とすることの精度を高める。
様々な真実と誠実さを経験し学ぶことでより真実に近づき、誠実さを身につけることにつながる。

さらにこの二種類の学習は貢献する力を高める。
体と頭で学んだものは蓄積され、様々なケースに対応できるように収納される。
そして同じ状況で以前よりもさらに貢献できる自分を生み出すことができるようになる。
収納された様々なケースを、現在の貢献すべき状況に当てはめることができるようになる。

こうして真摯さに深みが出るようになる。
深みのある真摯さを持った人には、その人を見た別の人が強く信頼する。
接客者としてはもちろん、人として真摯であることに信頼を寄せるようになる。

個別化には、表面上に表れているさほど難しくない判断と、その人の心の奥底にある根本的な違いを見分ける難しい判断がある。
本質追求は、心の奥底にある根本的な違いを見分けることを可能にしていく。
個別の深い理解を実現させる。

たとえば「人見知りが激しい人」だということは、ほとんどの接客者が話してみることで理解できる。
その人が、人見知りが激しいことでどのような不自由があり、そのような問題も含めてどのように対応すれば適切であるかは素晴らしい接客者であれば理解することができる。

卓越した接客者はまず、人見知りが激しいこととは別に、その人自身にどのような強みがあるかを見つける。
強みによって人見知りが問題にならないようであれば、強みを生かすことで接する。
サービス内容にもよるが、話し下手であっても文章がスラスラ書けるのなら接客の大半をメールでのやり取りにするかもしれない。
もし強みをそれほど生かすことができないのであれば、人見知りが激しい事情を知ろうとする。
事情は人によって異なるので、それを明らかにするには個別化を必要とする。
それすらも無理なのであれば、提供するサービスが、その相手に対してどのように個別に役立ち、利用してもらうのがベストであるかを見出す。
ここまでは氷山の下を明らかにすればするほど、それぞれ深く行うことができるようになる。

さらに深く掘り下げる人は、相手が人見知りである原因を特定し、相手に合った方法で、相手の良さを引き出す形で原因を解消する。
気にしなくなるように働きかけるかもしれないし、克服するようにするかもしれない。
または、自分は全く気にならないということを伝えることで、そういう人もいるんだということを知ってもらうかもしれない。
このようなことを可能にするほど、本質追求は個別化を深く掘り下げる。
人は何なのかということを考えさせ理解させる。

この流れは必然的に成果の追求を深める。
深く個別化をすれば、それに則したサービスを提供することで成果も深くなるだろうし、深い真摯さで接すればお客も成果を大きな満足で感じ取ってくれるに違いない。

また、2つの学習は、成果をもたらす方法のバリエーションを増やしてくれる。
同業、他業に「行って、見る」ことでヒントとなる行動を得ることができるし、氷山の下を調べることで新しい知識を組み込むことができる。
これによってそれまで2通りで成果を出していたものが、5通りで成果を出すことができるようになる。

成果がたとえ同じものであっても、2通り使いこなす人と、5通り使いこなせるだけでなく、6種類目に挑戦する人のどちらの接客者に深い信頼性を持つかは明らかである。

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