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Step3.サービスの歯車、しくみを作る

演劇と台本の関係

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正しいしくみを持たないサービスは、ベテランの脇役がいない演劇のようなもので、味気も色気もない。
そのような演劇は誰も見たいと思わない。

サービスを演劇に当てはめて考えてみると、ハードが舞台。
基本サービスは主人公。
しくみは脇役になる。
そしてその演劇をうまく運ぶための台本が、サービスではマニュアルとなる。

主人公が演劇で何を話しどのような動作を行うかが決まっているように、脇役の役割も台本によって決まっている。
基本サービスとして何を提供するかが決まっているように、しくみが何を行うのかということも決まっている。

台本を無視してアドリブで演劇を行う役者がプロとしては失格であるのと同じで、マニュアルを無視したオペレーションはサービス失格である。
演劇と台本の関係は、サービスとマニュアルの関係と変わらない。
台本に書かれていることはそれぞれの役者の役割であるのと同様に、マニュアルにはトータルサービスを作り上げる役割、つまり「しくみ」が書かれる。

台本作り 正しいマニュアルの作り方

マニュアル作りにも重要なポイントがある。

マニュアルは、コンセプトでは目が行き届かない細かい部分を測る「ものさし」の機能がある。
コンセプトは法(憲法)、マニュアルは法律(六法をはじめとする各法律)と置き換えてイメージできる。

コンセプトはサービスを正しく測る基準になる。
やっていいこと、やってはいけないことを考える場合の核になる。
一方のマニュアルは、ある物事を行っても行わなくても悪いということはなく、行ってもサービス提供に影響はない、という判断の難しい細かい部分に対して、なぜ行うのか(行わないのか)決定する。

コンセプトではカバーしきれない細かい部分を補うマニュアルの目的は、統一することにある。

マニュアルを作るとき「サービス提供するとき、提供者であれば誰もが必ず統一することは何ですか?」という質問に答えることが一番大切で、その答えがマニュアルの内容になる。
ということは、正しいマニュアル作りは、やはりコンセプトが核になる。
なぜなら、「統一されること」は結局コンセプトを基準として決めるからである。

たとえばファミリーレストランやコンビニの場合、接客者のトークが統一されている。
会計終了後に「ありがとうございました。またお越しくださいませ」という発言を行うように決められている。
その味気のなさや挨拶をマニュアル化することに対して、好意的でない声はよく耳にする。
しかしサービスコンセプト反映という視点で見てみると、ファミリーレストランもコンビニも「統一すると決めたこと」がマニュアルに反映されているということがわかる。
その結果、結局はマニュアルによって滞りなく基本サービスが提供されている。

コンセプトを正確に反映し、基本サービスを滞りなく提供するために挨拶の統一が必要であれば、それはお客の気分に左右されずにマニュアル化する。

統一するべきことが多ければマニュアルは厚くなり、比例してサービス提供の状態が画一的になる。
大量のサービスを提供するときや、ミスの許されないサービスを提供するとき、厚いマニュアルは上手く機能するだけではなく、必然になる。

自動車メーカーの自動車製造マニュアルは必ず存在し、厚いものであると相場が決まっている。

道路工事や障害者補助を扱う公共のサービスもかなりの細かいところまでマニュアル化されている。
人の命が関わるなど間違いが許されないからである。

こういった間違いの許されないサービスでは統一するべきことが多く、マニュアルは厚くあるべきで、細部まで検討され、取り決めはしっかりとしていなくてはならない。
サービス提供の責任上その義務がある。

統一することが少なければマニュアルは薄くなる。
反比例してサービス提供の自由度が広がる。ルール化の必要性がなくなる。

たとえば果物を提供する八百屋などの、単純提供できるサービスによく見られる。
小規模のサービス提供者も取り決めが少ない。
ピアノの先生は、個別コンセプトよりもコミュニケーションによってサービスを提供するので、物事の対応もしくみやマニュアルではなくコミュニケーション、つまり接客によって行う。
このようなサービスにとって統一するべき物事は少なく、マニュアルの必要性は限りなく低い。

それぞれの事業形態や規模、責任などを考慮に入れてしくみを言語化する、つまりマニュアルを作ることで、正しいしくみ作りを行うことができる。

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