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第2の扉 - 卓越者が住む世界

真摯さは信頼を生みだす。プロ意識と責任は信用を生みだす

真実を基準として物事の正しさを判断し、誠実な人間性によってそれを扱い、今自分ができる精一杯を行うことで相手に貢献する。
これが卓越する接客者の「真摯さ」である。

真実、誠実、貢献のどれもが接客者自身の内側にあるもので、内側から湧き出てくるものであることがわかる。
そしてそれは、どのような場合も相手という「人」に向かって使われる。

これに対してプロ意識と責任感は、仕事という外の世界に反応して生み出される。
仕事という外部の状況が求めているもの、行うべきこと、などに対して「必ず行う」というのがプロ意識と責任の特徴で、それはどのような場合も「仕事」という「行動」に向かって使われる。
接客の場合は「接客の仕事」という「人に向き合う行動」に向かって使われる。

ここで大切なことがわかる。

素晴らしい接客者は人に接していながら、そして高いコミュニケーションを使いこなしながら、その価値観は実のところ「仕事」に向けられているのであって、「人」に向けられているのではないということである。
顧客満足やホスピタリティは、両方とも素晴らしい接客者が重視し使いこなすことができる能力である。
そして彼らは能力を重視する。
その重視する能力が実は「仕事」に向けられている。
なぜならお客は「仕事を行う上で関わる人」のことであり、1人の人間のことではない。

顧客満足という言葉そのものが仕事でしか使われないことを見てもわかる。
ホスピタリティも同じように素晴らしい接客者が「仕事」で使う心配りなどの能力ことである。
仕事を離れたときに「お客という種類の人」以外の人に対してホスピタリティを使うことが果たしてあるだろうか?
高いプロ意識と強い責任感は、仕事で使われる価値観である。
友達や恋人、家族に対してプロ意識と責任感で接する人はいない。
したがってプロ意識と責任感は「人」に向かった価値観ではない。

反対に卓越した接客者は仕事を行いながら、そしておそらく完璧に近い仕事を行いながら、その価値観は実のところ「人」に向けられているのであって、「仕事」に向けられているのではない。

彼らにとって真摯さが発揮されるのは、ごく普段の生活であって、普段の生活の延長線上にある仕事でもたまたまそれが発揮されるにすぎない。
ということはつまり、真摯さはもともとその人の人間性を表すのであって、プロ意識や責任感のように後から持つものではないということになる。
強みが仕事とプライベートを分けないように、真摯さもそのような分け方をしない。
あくまでそれは人間味である。

素晴らしい接客者はプロ意識と責任感を接客のスタートラインに持つ。
そして「仕事」に向かう。

卓越した接客者は真摯さ(真実の基準、誠実さの前提、貢献を目的)を接客のスタートラインに持つ。
そして「人」に向かう。

この2つの世界観は、スタートラインで両者を分ける。

そして仕事に向かうプロ意識と責任感は、相手の「信用」を、人に向かう真摯さは相手の「信頼」を生みだす。

信用というのは、何か特定の行動に対して信じることができるときに使われる。
つまり仕事に対して信じることができるときに使われる。
信頼は、誰かの人間性に対して信じることができるときに使われる。
つまり接客者自身に対して信じることができるときに使われる。

2つはかなり似ている。
特にサービス利用によってもたらされる結果が同じであれば判別するのは難しい。
それに2つに優劣はない。
信用はただ仕事に対して働くのであって、人に対して働く信頼よりも優れているとか、劣っているということではない。
素晴らしい接客者と卓越した接客者の世界観の違いということである。

さらに、素晴らしい接客者はやはり素晴らしいので、部分的にであっても真摯さを持ち合わせている。
信用されるだけでなく、少なからず信頼される。
逆に卓越する接客者も信頼されるだけではなく、仕事に対しての信用もされている。

信用だけでは仕事を離れ、仕事に関わらない物事を行うとき、つまり人間性が問われる場面で信じてもらうことができない。
信頼だけではさらに深い仕事や、他ジャンルの仕事が関わってきた場合に信じきってもらうことができない。

信用と信頼はどちらも接客では必要で、素晴らしい接客者も卓越した接客者も実は身につけている。
ただ、住む世界、見る世界、価値を置く世界が違うということである。
スタートラインも異なるということでもある。
この価値観の違いが素晴らしい接客者と卓越した接客者を決定的に分ける。

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