Esmose

コラムを読む

強く生きる自分を作る

自分を不幸にしたい人たち


先日、
僕の大好きな
幼児教育の先生に会って話をしていて
気がついたことがあります。

これまでのブログでも
何度か触れてきたことですが、
わざわざ自分を不幸にしたい人があまりにも多いということです。

今日はそのことについて書きます。

 


 

その先生は愛情たっぷりの先生です。
なので、
僕が見て「何、人生甘えているんだよ」と感じる人も
優しく認めてあげ、許してあげることができます。
実際、
それで多くの人が救われています。

僕はその様子を見て
ただ単に感心し、凄いなと思うだけです。
到底真似できるレベルではありません。

天性、
という言葉はこのような場合に使われるのだと思います。

 


 

ところが、
彼女が言うには
僕にも「天性」があるようです。

こういったブログを書くことができるのも
ひとつの長所であり、強みかもしれません。

僕はそれを当たり前のことだと思っています。

例えば、
先生の息子さんは、人のオーラや霊が
実際に見えるのだそうです。
霊が引き起こす現象も見えるらしいのです。

先生はそれをありのままに受け入れて、
楽しんでいます。
「え、私のオーラ何色?」とか聞いているそうです。

僕はそれを聞いて、
その才能は凄いな、と思いながらも
自分の「強み」に気がつくことができ、
それを知っている人は幸せだなとだけ思います。

息子さんはその能力があることで
だいぶ悩んだり、苦しんだりしたようですが、
それでも幸せだと思います。
親である先生が認めてくれたことも幸運でしょうが
仮にそうでなかったにしても、
「自分だけが持っている力」というものは
誰にでもあり
それに気がつくことは
自分らしい人生を歩む第一歩だと思います。

 


 

ところが。

久々の更新でこのブログを読み返していて、
また
先生と話していて気がついたことは、
自分だけが持っている「不幸」にだけ気がついて
それをずっと引っ張り続ける人があまりにも多いということです。

例えば
自分は虐待を受けて育ったとか、
孤児だったとか、
障害があるせいで周囲から白い目で見られたとか、
在日朝鮮人なので差別を受けたとか、
貧乏で苦労したとか、まー、よくそんなに
こだわることができるなというほどこだわります。

自分だけの才能に気がついた人が
幸せであるように、
自分だけが経験した苦い体験を持ち続ける人は
その間ずっと不幸です。

だからやめた方がいい、とかではないんです。
事実、不幸なのです。
ただ、それだけです。

 


 

ま、それも当然なわけで、
何かがある度に
「子供の頃に虐待を受けた私の気持ちはあなたにはわからない」とか
「親がいない苦労を知らないくせに、そんなこと言うな」とか
「障害があるってことは、それだけで就職困難なんだ」とか
「日本人は結局、在日を差別するに違いない」とか
「家に取り立てに来られたことのない人に、何がわかる」とか
そういうことを言われ続けると
聞くほうはいい加減うんざりなわけです。

同情はします。
事実もその通りです。
けど、うんざりなのです。

 


 

そんなのは
その人にとっては普通です。

その人こそ、
他の家庭や、他の人と比べて
「私はこんなに不幸なんだよ!」
と言って回っているのです。

自分で自分を不幸にしている人が
幸せになれるわけがありません。
だから、不幸なのです。

僕はこの中で、
虐待と貧乏を経験しました。
人が聞けば顔をゆがめるような虐待もあったし、
家に取立屋が来たり、ヤクザ風の人からの電話もしょっちゅうでした。

気持ちのいいはずはありません。
しかし、いい経験でした。

 


 

僕は人と話すとき、
虐待がどうとか、貧乏がどうとか言いません。
言おうとも思わないし
言っても何てことないし、
そもそも、そういう話を思いつきません。

むしろ、相手が虐待や貧乏の正しい知識を
持っていないことで、
いたずらに悲しい気持ちになることを避けようとすらします。

先日会った先生やその息子さんのように
自分の才能や能力が話題になったとき、
例えば
「人の本質を見る目があります」とか、
「新しい一歩を踏み出すのが得意」とか、
そういうことを言います。

 


 

「人の本質を見る目」というのは、
その人の表面上がどうであれ
中身がどのような人であるかがわかってしまうことです。

これは子供の頃の虐待経験で身につけました。
最近何かの本で読んだのですが、
子供の頃に虐待を受けた人は
細かい表情や言葉の変化で相手の気持ちを
察知する必要があるので
敏感に人の気持ちを知ることができるようになるそうです。

「新しい一歩を踏み出すのが得意」ですが、
僕は、これまでの状態(例えば収入とか)が
悪くなることがあまり怖くありません。

それは、貧乏を経験しているので
どの程度の最低ラインまでなら
苦しくてもやっていけるのかを知っているからです。

僕の持っている「何か」は
もっとあると思いますが、
こういうことに気がついてからは
まぁ、それなりに幸せなわけです。

少なくとも、自分といえば「虐待」「貧乏」としか
考えることのできなかった頃より幸せです。

 


 

人は自分だけの経験に
しがみついた方が楽です。

人は誰しも
自分の気持ちをわかってほしいので
不幸な経験で同情してもらおうとします。

不幸な経験話が、
もう同情を誘う言葉です。
同情してもらいたい気持ち満載です。

自分の強みを知っている人は
同情が何の役にも立たないことを知っています。

自分だけの力、才能、長所、能力に
気がつくことができれば
そんなものはカスです。
むしろ、そういう経験に感謝できるようにすらなります。

頭の思考回路が
過去(現在)の不幸体験になっているのなら、
自分の強みを探すことに熱中した方が、
そりゃカッコいいんです。

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