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サービスの本質

サービスとは何か? ロンドン事件

1994年のある日、ロンドンの大手日系デパートのカスタマーサービスで免税手続きの仕事をしていた私は、その光景を目撃した。

ピカデリー・サーカスという一等地(東京では銀座、ニューヨークでは五番街に相当)に店舗を構え、日本人の観光客が全体の八割を占めるそのデパートにしては珍しく、現地在住の日本人(おそらく商社マンの夫人と思われる奥様)が、仕立て直した洋服を引き取りに来た。

レディースウェアのセクションで、そのお客の担当をしていたのは・・・今では名前を思い出せないが、二十代後半、身長160センチ代、小柄で薄栗色の髪のイギリス人男性スタッフだった。

私は騒ぎが大きくなってから現場を見に行き(特に権限もなかったので見ていただけだったが)周囲のスタッフにおよその事情を聞いた。
聞きながら、自分の中の常識が覆される物事が今目の前で起こっていることを知った。

夫人はおそらく、近くに立ち寄る用事があったのだろう。
その足で、約束されていた仕立ての完了予定日よりも、確か一日早く洋服を引き取りに来ていた。
引き取りに来ていたというよりは、仕上がっていれば手間が省けるだろうという軽い気持ちで立ち寄ったのだと思う。薄栗色の髪のスタッフは「仕立てはまだでき上がっておりません」と言ったそうだ。

私がその現場を見に行った頃には、そういう会話はとうに終わっていたので事実の程は何とも言えないが、おそらくその言い方が夫人の癇に触ったのだろう。
「売り言葉に買い言葉」になったのだと思う。

夫人は、
「余裕を持って仕上げるべきだ」
「仕上がっていないにしても、確認の電話を入れるべきだ」

などと言って怒りを爆発させていた。

こういったことが起こるのは、接客業に従事している人にとっては取り立てて珍しいことではない。
しかし、その後に起こったことは、私にとっては二度と目にすることのないものになった。

薄栗色の髪のスタッフは、
「お客様。できていないものはできておりません。明日とお約束したからには仕立ては明日に完成します」
と、堂々と言ってのけた。
間違っても「申し訳ございません」などとは言わなかった。そもそも、毛先ほども申し訳ないという顔をしていない。
背は低いのに背筋はピンと伸び、むしろ実際の身長よりも高く見えたほどだった。

その様子はあたかも、約束どおりプロの仕事をしていることに自信と誇りがあり、さながら「理不尽かつ、サービスを理解していないのはあなたの方だ」という心の声が聞こえてくるかのようだった。

夫人はむしろ典型的な日本人で、こういうときに日本人ならほとんどの人が出すであろう言葉を口にした。
「あなたじゃ話にならない。上の人に代わりなさい」
もはやかわいそうなくらい動揺が目に見て取れた。

これに対して薄栗色の髪のスタッフは、よせばいいのに夫人の動揺を促す主張でキッパリと否定した。
私は端の方にいただけだったが、その接客をドキドキしながら見ていた。
あまりにも取り返しのつかないことをそのお客にしてしまっているのではないかと、気が気ではなかった。
そんな私の気持ちなどどこ吹く風で、彼はまた堂々とこう言った。

「お客様の担当であり、一切の責任者は私です。お客様に対しては私が最も上の立場の者です。約束どおりのサービスもご提供差し上げます。よって他に人を呼ぶことはできませんし、その必要もありません」
どのようにしてこの薄栗色の髪のスタッフと夫人、そして周囲のスタッフが話を収集して事を終わらせたのかはよく思い出せない。

しかし事が終わった後に、改めて夫人の気持ちを考えてみるといたたまれないものがあった。薄栗色の髪のイギリス人スタッフにもう少し思いやりを持ってほしかった、などということを考えていたような気がする。

その私の前に(おそらく事後報告や処理を全て終えた)白髪のマネージャーが現れた。雑談でもして一息つきたかったのだろう。彼は心に余裕がある様子でこう言った。

「サービスはね、こうでなくてはならないんだよね」

一瞬耳を疑った。

聞き間違いかと思った。いや、聞き間違いであるはずだと思った。
しかし聞き間違いではなかった。
聞き間違いでないことがわかると、あらゆる疑問が頭の中に生まれた。
お客を不快にして帰してしまって、一体何がサービスだというのだろう。
あのお客はきっともう二度とこの店を利用してくれないだろう。
不快な思いをしたことを周囲の人に言い回るだろう。
それのどこを取って「サービスはこうでなくてはならない」と言えるのだろうか?

そういう顔をしていたのだと思う。
白髪のマネージャーはそれを察して優しく説明をはじめた。

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