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5章 - 悪魔のツールを退ける

悪魔のツール対策1 – 自分が置かれた環境について考えてみる

強みを発掘してうまく最大化することができたとしても、それを全てダメにしてしまうような悪魔のツールは存在する。

たとえばどんなに強みを生かすことができ、弱みをカバーする人たちが集まり協力してビジネスを行うとしても、それがアマゾンの密林の中ならきっとうまくいかない。

強みの発揮を「無効化」してしまう6つの条件を、皆さんには注意して気をつけてもらうためにこれからご紹介していきたいと思う。
それらを「強みをダメにする悪魔のツール」と呼ぶことにする。


 

強みのことを知っていく中で、多くの人が「言っていることはわかるけども、現実として発掘している時間や生かせるような状態がない」と考えたかもしれない。
実際にそういうことはあるし、私も経験してきたのでそういった「環境」の問題をクリアにするためにはどうしたらいいか、随分と知恵を絞った。

体育会的な努力と根性で頑張る方法や、自己啓発的な目標設定とスケジューリングを行う方法は自分でも試してきたけども、いい成果を得るために適切な方法だとはどうしても思えなかった。

そこで、自分がどのような方法でこれまでやってきたのかということをよく思い出すようにしてみた。

私は22〜25歳まで極度の貧乏だった。貧乏と言うよりは貧困だった。特に22歳と23歳がピークで、一日の食費が100円だったことがある。家がなくマンションを借りることもできなかったので、会社寮がついている仕事に就いた。同僚が昼ごはんにお弁当を買うのを見て、自分には弁当を買うお金がなかったのに断るのが恥ずかしくて、一番安い高菜弁当390円を頼んだらその日の晩ご飯をあきらめなくてはならなかった。

貯金はなく、住む家はなく、保証人も親も兄弟もないという状態だった。
そしてこの境遇の中でこそ、将来強みを生かすために「今、積んでおくべき経験」は何か、と考えた。

そして自分なりに「産業を体験しておくこと」と答えを出した。

この頃の私が自覚していた数少ない強みは、「社会を観る力・読む力はある」ということで、将来社会というものに対して強みを発揮するなら、第一次産業、第二次産業を経験しようと考えた。第三次産業だけはそれまでに経験していた。

手はじめにまず、寮のある北海道の牧場に仕事を求めた。次に大阪の三洋電機の、有機半導体を作る工場に仕事を変えた。
貯金ができはじめると、自分でビジネスを行うことを考え、計画し、実際に行った。

 

他の誰にもできない、自分にだけに授けられた「強み」というものがあることはもうわかった。
ということは、今環境が厳しくそれを使う状態にないのであれば、その強みを使うのは「将来」であるに違いない。

強みを持っているのに、使わずに死んでいくとしたら生まれてきた意味がない。・・・にもかかわらず今使うことができないというのは、将来使うことになると考えることはできないだろうか?

その強みを使うときのために「今、積んでおくべき経験」が何か、という考え方が強みを軸にした人生を生きる人の生き方だといっていい。

あるシンガーソングライターは、高校を卒業すると同時に郷里を離れアメリカの音楽大学の作曲科に入学した。
その作曲科を主席で卒業した彼女は帰国して東京で音楽活動をスタートした。アルバイトをしながらライブを行った。ボイストレーニングも作曲も行いながらライブをしてミュージシャン仲間の人脈を広げた。彼女は現在もライブを行っているが、元々は作曲科を出ていることもあり、音楽をクリエイトするのに適した強みを持っていた。
そのためライブは音楽関係者の人脈を広げるという目的で行われ、その人脈の中から現在はドラマやCMの作曲を行う仕事を手にした。

これは、目的を得るためにはやりたくないこともやらなくてはならない、ということではない。

強みをダイレクトに生かすことができる状態と環境があるのなら、いきなりそれをやった方がいい。

作曲活動や翻訳の業務など、コネがなくてはいい仕事が回ってこないという業界は少なくない。
その業界の中で最も自分の強みを生かすことができるなら、強みのために「今、積んでおくべき経験」を考えてみる。

作曲科の彼女はそれを考え、地道にライブ活動を繰り返して(ファンはもちろん)音楽関係者の人脈をつかんだ。
そして強みを生かすことができないことには、それが社会的に評価の高いことであっても首を横に振った。ソニーミュージックからの契約も断った。

これが強みを生かすことのできない環境に身を置いているときに行う、強みを生かすための1つ目の対策である。

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