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サービスの本質

トーマスクックの現代サービス

ヨーロッパの鉄道は、コンセプトを商売に取り入れただけの公共サービスに限りなく近いサービスであって、現代サービスの特徴を持っていなかった。
蒸気機関を動力とし、石炭を燃料とし、鉄を加工した線路で移動を提供するという、工業の単純な応用にすぎなかった。

もちろん、これまでのサービスは公共機関が提供していたことを考えれば、サービスの提供に大きな革新が起きたということは間違いない。
しかしそれでも、鉄道はインフラの整備というクラッシックなサービスだった。

現代サービスとサービス業を世に生み出したのは、鉄道ではなく旅行によってである。
旅行業によってはじめて、新しい条件を備えた現代サービスがこの世に生まれた。
これが産業革命時に起こった、サービスのふたつ目の変化に当たる。

旅行というサービスが提供されるようになると、その流れは堰を切って溢れ出した。
旅行を核として、独自のコンセプトを持ったホテル業をはじめとする観光産業、関連サービスが生まれた。

この時代に生まれた関連サービスの中には、造りを第一とするカバンを提供したルイ・ヴィトンや、馬具の製造から革のカバンにジッパーを取り付けたエルメスなどがある。

20世紀後半にイギリスのトーマス・クック、アメリカのアメリカン・エクスプレス、日本の日本交通公社つまり現在のJTBを指して世界三大旅行会社とする考え方があった。
トーマス・クックは2001年に買収され、ルフトハンザ航空の傘下に入るが名称は残った。
このトーマス・クックこそが世界初の旅行代理店であり、現代サービスの提供を意味する世界初のサービス業である。

トーマス・クックは、鉄道という社会意義の高いサービスを活用し、移動と宿泊と食事を用意し、コストを下げ、旅行を一般化し、パッケージツアーとして提供する、新しい意味のサービスを社会に提供した。

それは、潜在的な社会の不備を解消するものだった。
トーマス・クックがサービス業として旅行を拡張するまで、旅行は一部の上流階級が行うものだった。
旅行には高コストと時間がかかるというのがその理由で、庶民ははじめから高コストをかけることができず、労働時間を割くことはさらに難しかった。

この時代、イングランドの地方の人がスコットランドに旅行に行くことすら珍しいことだった。
1846年に、トーマス・クックがはじめてスコットランドに団体旅行者を率いて行ったときには、グラスゴーやエディンバラで大きな歓迎を受けた。

パッケージツアーは、国内はもとよりパリ万博を機会にフランス、その先にあるイタリア、スイスから西アジア、エジプトに広がった。
一方では大西洋を越えて、アメリカ旅行のパッケージも組まれるようになった。

国内旅行という不備の解消を行ったサービスが、次は海外旅行がないということによる新たな不備を生み出した。
このとき、潜在的な不備は不備を解消するサービスによって生み出され(続け)るという、新しいサービスの特徴が生まれた。

トーマス・クックは海外の旅行ツアーにとどまらず、各都市にホテルを設置し、ナイル川には遊覧船の船団を完備した。
外国人(イギリス人)が満足して泊まることができるホテルがないことの不備、ナイルの船は衛生が非常に悪く、物乞いが大量に寄ってくることによる不備、などを次々と解消した。

もともとトーマス・クックが、旅行のパッケージ化をサービスとして提供しようと考えたのは、彼自身もも参加している禁酒運動のメンバーを他の都市に送り込むためという目的があった。
サービス提供の最初の動機は社会貢献なのである。
サービスを発展させる土台となった、トーマス・クックのコンセプトは、

「これまで訪れることができなかった遠隔の地に多くの人々が行けるようになれば、文化的・歴史的な過去の遺産や素晴らしい自然の景観にも触れることができ、その教育的な価値ははかり知れないほど大きく、また遠隔の地の人々との交流を通して友愛・友好を深めることもでき、それによって世界平和に貢献できる」
(「トーマス・クックの旅」本城靖久著より抜粋)

というものだった。
旅行客から収益を得る商売を行いながら、同時に文字通りの社会貢献を行うという意味でサービスを提供したのだった。
それが現代サービスやサービス業を生み出すとは、おそらく考えもしなかっただろう。

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