自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「ウザイシネ」と思わないマインド構造について


穏やかじゃない内容だけど、このところ2つ続けてきっかけがあり
かつ、
少なくない人がこの病にかかっていそうなので書いていきます。

「ウザイシネ」レベルになると、これ相当にきっつい感じだけど
まぁ、それももちろんそうとして
「イヤ、キライ」レベルでも思えない人が少なからずいます。

通常はこんなことを言うと、
言っている方に精神構造上の問題がある・・・
みたいな捉えられ方をするけども
なので、
ブロックを外すとか
内省や反省をするとか、
そっちの方に走ってしまう。

で、考えてほしいのだけども
「ウザイシネ」とか思ってる時点で人格に問題がある
というのはれっきとした情報病です。

情報病というのは社会的、周囲的にこの物事はこうだ!と
情報が常識的に広まっていて、
それをむやみやたらに信奉してしまう病気のこと。

「ウザイシネ」とか思ったり言ったりする人は
マインドに問題のある人ですよ~と半分自動的に思ってしまうのは
頭にその情報があって一致する(させる)ことと
心に自分が恐怖心を感じる原動性がある言葉なので
積極的に情報病を押し進めてしまう・・・
というメカニズムがあるから。

この病気があるために、
ウザイシネをやってしまってはいけない、
そうだ京都行こうないことにしてしまおう!
としている人が少なからずいるということ。

人に対して「ウザイシネ」「イヤ、キライ」と思っていけないのは
そんな人格破綻者な自分であってはいけないという思い込みから。
ちなみに
思っても人格破綻者でなければ性格が悪くすらない。

それって人間の機能として・・・というか生物の本能として
至極普通のことです。

で、この「ウザイシネ」をないことにしてしまうとき、
本当の意味での人格破綻が起こってしまう。

基本、こういう負の感情をメカニズムとしてみたとき
それがなぜ起こるのかというと
外界の接してはいけない情報を選別するために起こる。
たとえば、悪臭をかいだら場を離れるというような
生命維持の期間として感情センサーが働く。

「ウザイシネ」レベルになると
そりゃもうド悪臭レベルで、
腐って黒くなった生野菜を「だいじょうぶ」と言って
食べるぐらい危険度が高い・・・だけじゃなく
不整合過ぎてキモチワルイと思われすらする。

人の機能として曲がりきってしまう。

ないことにする方法は人によりけりで
代表的な2つのうちひとつは
自分のせいにしてしまうこと。
自分の問題だから自分と向き合い、
ブロックを外し内省し、
相手の気持ちもわかるし、
自分はまだまだガマンができる。
勉強と成長にもなるし・・・・あー書いててうざくなってきた。

というケース。

もうひとつは、
物事を解決することで自分をだいじょうぶにしてしまうケース。

物事を解決できる頭や行動力、コミュニケーションなどを持っていれば
合理的に「ウザイシネ」と思わなくて良くなる。

どのような問題も解決できる自分だし
情緒も優れているので愛に溢れて人にそんなネガティブな感情を持たなくてもいい。
感情はコントロールできる。
または愛に基づいた感情にシフトできる。。。

アホか!

感情は原初的センサーじゃ。
センサーから大きな働きを省いてしまってどうするねん。

情報病を素直に受け入れてそういうもんだと信じ込むおめでたいケースもあるけど
ま、構造的には上に書いた2つという感じかな。

また、相手を好意的に思う気持ちが
このウザイシネ感覚を殺しているために
ウザイシネじゃなければみんな好きとか、
ウザイシネじゃなければいい感じとか
そんな風に誤解していることも少なからずある。

もちろん本当に好きとかいい感じではなく
あまりに大きな感覚を殺しているので
その他の多くを肯定しなければ
心理的に帳尻が合わなくなってきているだけ。

だから、そういう人は
親しい人も疎ましい人も少なく
平均的な人間関係を持っていることが多い。

感覚遮断しているわけだから
当然自分の人生をうまく歩めていない。

そういう人がどうすればいいか?は明白で
キライなヤツには「ウザイシネ」と言い、
好きな人には「好き、一緒にいたい」と言う。

それだけ。
簡単。

簡単を難しくしている人はこの病にかかっている可能性を疑った方がいい。

さぁみんなも今日からレッツ「ウザイシネ~!」

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