自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「リーディング」という呼び名が前から嫌い

先日のビジネスリーディング講座でも話になった。

リーディングという呼び方に疑問がある。
そもそもその言葉を聞いた時からおかしいと思っていた。

リーディングは何をするのか?「読む」?
読むって何?
 

結局、答えがわかるという力を使うのであれば
それは直感と言えばいいし、直感を使えばいい。

直感でなければ感受性を使うのかもしれない。
感じ取る力には聞くタイプと感じるタイプがある。
さらに分化することができる。

そうやって分化していけば、していくほど
「読む」というような考え方からはどんどんと遠のく。

見る力を使うならイメージと言えばいいし、
会話をして答えを教えてもらったり導くのならテレパシーかもしれない。
答えの在り処にアクセスできるならアクセス権とでもいえばいい。

リーディングって何だ?

ちゃんと考えたことはあるのか?

アメリカのネルソン・アトキンズ美術館が所蔵している中国の水月観音像らしい。一度見てみたい。

答えだけではなく、背景や理由などもわかるのであれば
それは読むのではなく、知るということになる。

この知り方は全知に近づく知り方であり、知るということなので
本読んだ的な「読む」とは全然違う感覚がオレにはある。
読んだ程度、と
知覚的に、経験的に、重厚に知っているというのは違う。

逆に言えば知るに近い状態にならないのであれば
何かを読んだり、軽くわかった程度の認識で
スピ能力を扱っているとは片腹痛くて言えはしない。

でも残念なことに、その程度の能力者が多すぎる。

「体疲れてるね。過労たまってるよ。胃が悪いから今日は生姜湯飲んで早く寝て」
てゆうのは、
顔色を見れば誰でも言える話だし
看護婦ならもうちょっと詳しく言うだろう。

これをわかることがスピ能力というなら
そんなものは看護婦に劣る戯れ言でしかない。

わかるという力から、知るという確信に至ることができてはじめて
何かをスピ能力で得ることができた、というモノだ。

リーディングとか軽々しい言葉で
軽々しい脳みそのから軽々しい発言をして
なんだか優れてるっぽい的な恥ずかしいこというのはぜひとも止めてほしいと思う。

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