自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「依存」と「自意識過剰」にまつわるコントロールのお話&自立って何ですか?


依存がなぜ生まれるか?ということは自意識過剰がなぜ生まれるか?ということと同じ理由にある・・・

なんていうことを書いてみようと思います。

依存は主に、無力感によって生まれます。

(怠けた方が楽だからというもっと簡単な理由もあるけどね)

自分には力がない。自分は認められない。自分は愛されていない、またはその価値がない。

絶対的な諦めとか、といって生きていかなくてはならないので

何か軸になるものを外に求める気持ちから依存心が生まれます。

なぜ外に求めるのかというと、自分ではどうにもならないという無力感がベースにあるのだけど、

その無力感がなぜベースにあるのかというと、

状況や人生を自分ではコントロールできないという経験則や判断によって生まれます。

平たく言えば「頑張っても無駄」「頑張ったけど無駄」みたいなところにあります。

ということは、依存→無力感→コントロールできないという図になっていて

(というばかりではもちろんないのだけど)

ということは、コントロールできる・できないが密接に関わっているわけです。

もっと掘り下げると、コントロールによって心理が左右されているということです。

自分や状況をコントロールうまくできる人・・・・する人は、自意識過剰になります。

依存している人が「自分は依存している」と気づかないように、

自意識過剰な人も自分では「自意識過剰である」とは気がつきません。

コントロールする物事が増えれば増えるほど、人はコントロールによって世界が回ると勘違いします

もう少し公平な言葉を使えば、コントロールの必要性を理解・学習します

その方がうまくいく、という理解・学習・・・・大きな勘違いです。

普通に考えてみればわかることなのだけども、

世の中にはコントロールできることよりもできないことの方がはるかに多くあるわけです。

依存する人はこのはるかに多い現実に圧倒されて、ほぼ何事も無駄だと学習してしまい・・・

・・・つまり自分は何事もできないちっぽけなクズという判断をしてしまいます。

自意識過剰な人は、はるかに多い現実に目をつむって、自分ができることだけに集中します・・・

・・・つまり、自分はこんなにできる(ようになった)素晴らしい人間だ、と錯覚してしまいます。

依存を嫌うほとんどの人は、自分の努力によってコントロールできるようにしてきた(という錯覚を持つ)人で、

だからコントロールできないことが甘えや努力の欠如であると簡単に結論づけてしまいます。

つまりは、

依存する人も自意識過剰な人もコントロールのワナにどっぷり首の上まで浸かっているということです。

通常、自立は良いこととされていて、

その自立というやつは人の感覚的に依存と自意識過剰の間のどこかの範囲にあるとなっています。

依存と自意識過剰の間には必ずコントロールがあるので、

自立を考えるときにこれは全然正しい判断ではなくて、むしろ思いっきり間違っているといってもいいかもしれません。

自立はコントロールなどやってもできないことの方が多い現実や世の中で、

それでも自分を見失わず、自分を生かして、自分らしく生きていく人のことです。

コントロールすることもあるかもしれないけども、そんなことはほとんどなくて、

(なぜなら、圧倒的に多くのケースがコントロールできないならやる必要がそもそもないから)

だからコントロールという物事に左右されたり縛られることはほとんどありません。

コントロールなどそもそもできない世界の中でやっていくのだから、

基本的なスタンスは必ず受け身になります。

受け身はコントロールを気にする人・・・・特に自意識過剰な人にとって脅威なものの考え方で、

状況を自分の力では左右できないことを認めなくてはならなくなります。

ちなみに依存症の人の受け身は、受け身ではなく諦めです。

剣術の世界には後の先という概念があって、相手に先に打たせて対応して手を打つ・・・勝つという手法です。

自立の基本スタンスは能動的受動積極的に後の先を取るというところからはじまります。

積極的に対応していく、というのは状況に応じてやり方を変えるということでもあります。

コントロールできない依存症の人は、状況が変わっても法則や教祖にすがりたいと思い、

コントロールが全ての自意識過剰な人も、状況が変わっても通用する法則で挑もうとします。

「だから自意識過剰な人のところにほど依存症の人が集まってくる」というヘンテコなパラドックスが生まれます。

状況に応じてやり方を変えるという方法は、自立の基本とか前提になるのだけどそれだけでは不十分で

その土台の上に自分というものを乗せてあげる必要があります。

他人の法則ではなく、あくまで自分自身というもの

自分の機能だったり、ラブだったり、存在感だったり、優しさだったりします。

いろいろなものを全て含むのが自分。

それがうまくできるようになってくると自立は完成します。

依存でも自意識過剰でもない、なんだか筋の一本通ったしかし人には決してマネのできないもの

人もそれを見てマネができないと思うし、本人も往々にして説明できなかったりするので

結果として依存症の人は寄って来ず、自意識過剰な人からは避けられたり非難されるか

勝手に解釈されて尊敬のまなざしで見られるようになります。

つまりは、自立の世界は

コントロールする・しないのない、自分の確立の中に成り立つ世界であって、

特に勘違いされやすい自立とはまた別のところにある、ということです。

ということは、どんなに知識を学んでもスキルを身につけても自立する日はやってこないということだし、

そうやって状況や環境や未来などをコントロールしようとしている時点で既に勘違なんだ、ということです。

 

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