自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「受け取り」と「自立」のバランス


先日書いた一人踊るセミナー、差し伸べられた手に気がつく。取る。 にコメントに、

「受け取りと自立のバランスのとり方の秘訣(特にらぶ☆)教えてほしいです~!!」

という声がついた。

ちょうどネタないし読者の声に応えるのがブロガー魂というものである・・・ということで書いてみようと思います。

受け取り、に関しては前回の記事を読んでもらうとして、自立についてまず。

自立というのは、必ず前提に庇護下があります。

誰か、何か、組織、などの庇護の下にある種守られた状態・・・・になければ自立する必要は生まれません。

既に自立しているから。

庇護を必ず否定する必要もなければ、人として何事からも必ず自立しなければいけないわけではなく、

自立は必ず、自分が自立したいと思ったもののみ対象として働きかけをする行動のことです。

だから依存を敵として、何事も頼ることを依存と決めつけ、

「依存からの脱却として自立しなければならない!」としている人は、

ちょっと物事を見誤っています。

依存であるか信頼であるかは後で書くとして、庇護下にない状態なんて人間あり得るわけないからです。

当然の権利、なんていうものは普段から気がつかないもので、

例えば戦争をしている国に生まれたら自立とか依存とか言っているヒマがない。

安定した国の庇護下にあるので、自立がどーの・・・と考えることができるわけです。

で、その庇護下からの脱却が自立になる。

自立はまず、どの庇護下から脱却するかを選ぶことからはじまります。

親のいいなりになっていれば家賃を払わなくていいところからなのか、

旦那のいいなりになるのがイヤなので自分で収入を得ようとするところからなのか、

給料という安定を手にしているが、奴隷のようにこき使う会社からか。

どの庇護下から自立するかを選んだら、次はその庇護下から離れるということが起こります。

往々にして庇護している側はそれを裏切りだと感じます

裏切りの心理というおもしろいヤツもあるのだけど、主旨がそれるのでまたいつか。

ちなみに庇護側が裏切りだと感じる度合いは、

離れる側が庇護を否定的に捉えている度合感謝の薄さの度合に影響を受けます。

(もちろん庇護側の気持の入れようとか、思い込みの度合なども関係します)

適切な自立というものがあるのだとしたら、

庇護を否定して脱出するのではなく、感謝を持ちながら自分のことを考えて進む道を決める・・・・

・・・・というのが好ましいんじゃないかな?と思います。

ある分野で自立できたら、自分の自立力を磨いて使います。

熟練したら「自分のこの分野での自立力はここが限界だな」というのが見えてきます。

その時に自分ができることとできないことがはっきりとする。

できることは自分の力を生かし、できないことに対して人の手を借りる・・・つまり受け取ってみる。

これで最初のバランスはうまく築かれます。

が、ということは、自分の自立力が何なのか?を知らなければ受け取りもうまくできない・・・ということになります。

乱暴ないい方をすれば、

自立力を知らずに受け取ることが依存、自立力を知って受け取ることが信頼と言っていいと思います。

自分の自立の力を知って、その上で人の手を取る。

そうすると自分だけの力ではなかなかできないものを築くことができるようになります。

例えば仕事の企画とか、家族や家庭とか。

ところが、こうして築いたものそのものが自分や人を庇護の下に置く物事となります。

違ういい方をすれば、今度は自分が庇護する側の人になるということです。

庇護は必ず人の手を借りることを知っている人にしかできず、

庇護する側に回ると、その庇護を疎ましく思う連中が甘えているように映ります。

自立力を知らずに、人の手も借りず、文句を言っているだけだから。

庇護する側になったら、自分の自立力とそれを助ける受け取りに注目するのであって、

その享受や恩恵を受ける人には注目しないことがひとつのポイントになります。

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