自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「守るものができると人は強くなる」と言うが・・・


いわゆる「前提間違い」について。

守るもの、たとえば家族、子供なんでもいいけど
そういうのができると強くなるという。

公平に書くけども確かに強くはなる。
だが前提がすごく間違っている。

守るものができると不自由になる。
これは、どのような場合もそうなる。

「何かに集中しなければならない状態」というのは
イコール制約を生み出す状態であり、
制約を生み出す中での強さ(美しさ)というのは
突き詰められ、突出した強さになる。(つまり集中)

日本刀や漆塗りなど、その他に用途がない
まさにその道にのみ突き詰められたものは
独特の強さと美しさを併せ持つ。

守るものを守るために、集中して強くはなる。
だがその他の部分では全く強くはならない。

タフになり、耐性ができても絶対に勝てなくなる。

勝ち負けの問題ではなく、単に特徴を示しているだけ。
物によっては勝ち負けが問われることもあり
自分の人生を考えると勝つかどうかが重要なことがある。

だが、それが手に入らなくなる。

一点突破の力は集中の方が強いが、
全体的に自分や人生を考えたときには
自由度が低すぎるとうまく回らなくなる。
(逆に高すぎても上手く回らなくなる)

守るべきものや、集中することの素晴らしさは説かれる。
逆に、
離れることができ、捕われないことの強さは誰も説明しない。
その効能や生み出されるものも説かれない。

自由は無条件に強い。
そこに諦めはない。

制約には必ず諦めが含まれる。
だからこその強さといえる。
だが自由は、自由を継続するための強さになる。

制約と守るべきものを正しいとする中で
自分の自由が何かを知り、
それを得続けるために努力する。

その強さが自由の強さになる。

強くない自由は自由ではない。
ただの気分であり、ただのわがままでしかない。
クズだ。

自由には責任がある。
自分が自由でい続けることへの責任があり
自分と人生が上手く運ぶための自由を維持する責任がある。

ちょっとイヤなことがあれば
苦手とか向いてないを持ち出して
何かに相対しないというのは全然自由ではない。

同じ「離れる」ということをやっているとしても
それは、無責任で気分と感情に流された逃げであり

自由の強さは
自分を生かすために、生かさないものからは
いつも必ず「離れる」という強さのことをいう。

だから、その見分けがつかないものが「逃げ」だと罵っても
心に1ミリも響くところがない。

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