自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「悪くない世界」と「良い世界」は違う〜世界の限定で起こる不要な幸せ


「不要な幸せ」痛々しい前向きと言ってもいいかも。

そして痛々しい前向きは、自分で自分の世界を知らずのうちに勝手に狭めることで作っています。

作家の瀬尾まいこさんの短編小説にこういうのがあります。


おしまいのデート/瀬尾 まいこ

から抜粋。

ちょっと長いけど。

女は何かあるたびに強くなる。

最初に私を強くしたのは結婚だ。二十七歳の時、私は取引先のダイスケと結婚した。だれん愛をしたわけではないけど、二年付き合い、もろもろの手はずを踏んで結婚した。ダイスケは優柔不断でどんくさいところはあるけれど、よく働き、優しくまじめな男だった。

結婚したことで、家事と仕事を両立しなくてはいけなくなり、折り合いをつけたり我慢したりすることも多くなった。そういう日常の中で、少しずつ人間としての器が大きくなった。それに、一番すっきりしたのは、他の男に好かれたいという意識がなくなったことだ。独身のころは彼氏がいるいないにかかわらず、男の子の目が気になった。髪型を流行のものにしたり、雑誌を読んで可愛い女の子になる方法を研究したりしたし、他の女の子とけん制し合うこともあった。だけど、だんながいるとなったら、そんなことと無関係でいられた。自分はだんながいるからいい。男に好かれる必要もないし、もてなくたって構わない。気にする相手が減るのは、なんとも気楽だった。

そして、三十代に突入し、私の開き直りはパワーアップした。

二十代のころは、都市をとることに敏感だったし、おばさんって言われるたびにいらいらした。何とかおばさんに見られないようにと努力もした。だけど、三十代になると、そんなこともどうでもよくなった。ダサい短パンにTシャツで近所の商店街ぐらいには行けるようになったし、店のおじさん相手に「ちょっとぐらいまけてくれてもいいでしょう」とずうずうしいことも言えるようになった。陰口を叩かれることも怖くなくなって、会社の若い子に厭味の一つも言えるようになった。堂あがいても、三十代なのだ。おばさんだと思われることより、自分の腰痛や肩こりのほうに気をとられるようになった。

そして、私を決定的に強くしたのは、離婚だ。

これは小説だから、必ず離婚とか上手くいかないとかではないけども、

本当に強くなりたかったのか?本当に気楽でいたかったのか?ってこと。

よくある間違いは、「本当にしたいことは何ですか?」という質問。

この小説の、このシチュエーションみたいなことは本当によく起こっていて、

欲求を優先したり、楽を求めて正当化することで

本当には求めていない現実を、正当化の理由とワンセットで手に入れてしまうことはよくあります。

上の例だと「強くなる」とかね。

ちなみに結活をしていながら、仕事に打ち込む日常のスタイルを変えようとせず、

むしろ仕事世界(限定した自分の世界)で素晴らしい理由(正当化)を見つけて

こういう生き方に満足しているし、自分らしく行きている・・・・と大きすぎる勘違いをしている人も少なくない。

というか・・・・めっさ多い。(当社比)

作っているのは「悪くない世界」の中でのかなり素晴らしい自分

「良い世界」の中での本来の自分ではない。

良い世界は手に入らない前提で世界観を築いてしまっているから、

その世界でやる気が最初からない。やるとも決めない。

なので、いつまでも文句を言うか、夢として語り続けることになる。

世界の限定素の自分の限定は違うのだけども、

これは改めてコラムで書くとして、

結局本来の自分が、本当に大切にしていることに気がつくか気がつかないかで、

自分の生き方も大きく左右するし、幸せになれるかどうかも決まる・・・と言って過言でない。

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