自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「無償の愛」はありません。

最近のブログではこのアメンバー記事がものすごい評判がよかった。
「愛し合う」にまつわる最大の誤解” class=”replaced_link replaced_link_from_ym11″>「愛し合う」にまつわる最大の誤解

方々で良かったという評判を聞く。

梶さんの奥さんがこんな風に書いてくれている。「愛される」だけ抜粋すると分かりやすいらしい。
【奥さま日記】愛することが得意な人、愛されることが得意な人、そして本質

オレもいつか、「奥さま日記」を書いてほしい。もう誰でもいいし。むしろ奥様じゃなくてもいいんじゃね?みたいな。

さて。このコラムの補足・・・というわけでは全然ないが
「無償の愛はないのか?あるじゃないか!」
と思った人もいるかもしれないのでそのことについて書いておこうと思う。

結論は「ない」。あると思ってるだけ。

例えば親が子供に対して持つ愛・・・「愛する」は、そりゃ心から湧き上がってくる衝動に従っているのかもしれない。それはある。
なんで愛するかに理由はない、と思っていると思う。少なくとも「見返りなど求めていない」と考えているかもしれない。
でも関わりを持つことを求めているよな。相手と愛し、愛される関係であることを望んでる。貢献や尽くすことをされないとしても問題はないが、信頼されていないとしたら(信頼は愛することの報酬)愛しても愛しても愛しても信頼されない、疑問に思われる、否定される、一切信じてもらえない・・・のだとしたら、それは「愛する」が成立していないと誰が考えてもわかる。

見守る愛もあるじゃないかと思うかもしれない。

信頼されることが大事ではなく、後ろから見守り何かの時は必ず体を張って相手を守り、矢面に立つんだ!・・・だとして、相手が1ミリもそれを望んでおらず、どうか関わらないでくれ、目の前から消えてくれ、あんたの愛(する)は偽善で、こっちは全く求めていない上に迷惑千万だ!という場合・・・愛する、愛されるは成立するか?

一方的に愛していれば愛しているんだ・・・がもし「愛」なのだとしたらまぁ成立するだろうし、心の中で強い気持ちを持っていることが「愛」だ、ならまぁ成立するだろう。
だが、客観的に見ればなにひとつ成立していない。
そこにあるのは「愛(する)」ではなく、愛したい気持ちだろ。愛がなく気持ちだけがあるということは、愛することに失敗しているってことだよ。気がつけよ。「相手はどうかわからないけど私の愛は変わりません」なんていうのが最も偽善で欺瞞。相手から信頼がないのに「愛する」ことが成立することはない。ただ見守るだけで相手が知らないとしても、実際にはそうであるということに気がつくことだな。

子供は親から無償で愛されてるじゃないか。愛する方は欺瞞だとしても、子供はそれを知らなくても受け入れ、いざ知ったときにやはり受け入れるなら、「愛される」方は知らずのうちに成立してるじゃないか!という見方はあると思う。
確かにある。愛される対価に尽くすや貢献をしなくても、純粋に愛する人の存在で愛されているということが成立することはある。でもなぁ。

普通に考えてみて。相手に尽くさない。貢献しない。愛する側の対価としての「相手を信じる」ということも積極的にはしない。自分に都合のいいところだけそうする。
それって、ただの、保護されてることの甘えやろ?自分に向かって「愛」の矢印を向けてくれる人がいることをいいことに、無償の愛という概念を使って、「自分が有利に働くなら全然やってくれていいよ」「ヘイ!オレ愛されてるぜ!」ってただの甘えちゃうん?
そりゃ自分に都合のいいことは誰でも受け入れるし、受け入れたい。メリットがあってデメリットはない。でも誰もが知っているように、いざ不都合が生じたらそんな関係っていとも簡単に崩れない?愛する方は全力で愛し、信頼できる人間であろうとし、相手にまっすぐ向かう。相手はそれが自分に効果的なときは受け入れるが、都合が悪くなると放棄する。それって「愛されてる」ってことになるか?フツーに考えてただの甘えやろ。人生に対する甘え。自分に対する甘え。相手に対する甘え。それって愛されてないんよな。相手が愛しているから自分が愛されていると勘違いしているだけで、「愛されている」という物事にならない。「甘えている」なんなら「舐めてる」という物事。

これも「愛する」と「愛される」が対で反対語だと思っているところから誤解が生まれる。

でも事実、うちは無償の愛がある!というしつこい人もいるだろう。
例えば子供のことを心から愛してる。対価がなくても私は愛しているんだ!
そして子供の側はそれを受け入れている。尽くしたり貢献しなくても受け入れているんだ!

あんな、そういうのを共依存っていうねんな。心理学だと共謀関係。
「愛してるっていう私をあなたが受け入れたらうまくいくし自分もやってる気になる、こんなにしてあげている、想っている自分を認めてくれたら自分はなんて愛ができているんだ!」という出し手と、
「愛されてることは結構メリットがあって、気に入らないことは受け入れないし貢献もしないけど、都合のいいことは受け入れていればお互い不都合にならないしいい関係で気持ち良く過ごせるよね」だから受け入れるわ!という受け手の。利害が一致している利害関係なんだわ。
だから普段かいざという時かは別として、主に受け手が弱っているときに出し手が手を差し伸べまくって利害を一致させ、受け手は感謝をするという図式が良く起こる。平凡な日常を過ごしているなら、わざわざ事件を起こしてまでお互いの関係を確認するような物事を起こす。そして「愛」という心を一致させる【技術】を使って、ほらね、やっぱり私たちは愛し合う素晴らしい関係だと「証明」する。証明がなければ利害関係は継続されないという危機になるので必ず証明する。
カウンセリングではこういうのを「ゲーム」と呼ぶ。簡単に言えば「愛し愛されるごっこ」。ごっこなのでゲーム。巧みに必ずしくむ。
出し手は自分が尽くしたことに満足し(愛する側なのに尽くすという逆をやる)、受け手は自分が愛によって守られた(という勘違い)によって信頼されていることに安心する。(愛される側なのに信頼という逆をやる)

逆をやるということは、愛する側(出し手)は逆次をやり、愛される側(受け手)は二次をやっている。支配するものと支配されるものの正当化しあう気持ち悪い関係になる。
が、これこそ愛の素晴らしい形だと多くの人に思われている。そういう人に愛する、愛されるはメリットの関係だと言われると強い抵抗を示される。あいつは愛が何かわかっていない寂しい人間だ、ってな。
正当化人間のド勘違いには本当に鳥肌が立つ。

目を覚ましてほしいが無償の愛などない。心持ち気持ちはあるだろうが、愛という形ではなく、愛する自分の前提だよ。それは。
普通に現実を良く見て、普通に愛が何かを考えればすぐに出てくる簡単な答えなんだよな。

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