自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「理解」を使うということ


【「理解」を使うシリーズ】

「理解」を使うということ (この記事)
事実誤認と理解。マジメに向き合うことの誤認~「理解」を使うシリーズ2
スケールの誤認。器ともいう場合あり~「理解」を使うシリーズ3
意味を探るムダを省き知覚が広がる~「理解」を使うシリーズ4
不要な努力をしなくて済む「結論の理解」~「理解」を使うシリーズ5
「理解」と「わかる」を使い分ける~「理解」を使うシリーズ6(最後)


理解、というのは浅い。そして強い
まず参考にこちらの記事をどーぞ。
分かると理解するは違う ~分かるシリーズ2

「理解」「わかる」よりも浅くて、表面上の物事に対してだけ発揮される。
根本的にも本質的にも正確ではない。わかる、という物事に及ばない。
だからとても役に立ち使える。

理解する物事の中にも、結論が必ず正しいということは少なからずあって、
例えば、目の間に水がある。もうこれ完全に水です!とか、
車はアクセルを踏めば走る、ブレーキを踏めば止まるという理解とか、
水であるかどうか検証したのかとか、車の構造を正しく知っているのか?とか
そんなことはどーでもいい

結論、そうであるということを理解さえしていれば、
プロセスの「わかる」が不要になることがよくある。

わかる、というのは納得できるとか、筋道が通っているとか、プロセスの作りはそうなっているとか、
イメージができる(脳内でイメージ化する)とか、感情の整合性が取れてくるとか、経験したとか、
理論が構築されているとか、科学的であるとか、原因と結果とか、問題の核心とか、
本質とか、根本的理由とか、解明するとか、検証されているとか、そういうことの集大成なのだけども
理解の世界ではそういうものは一切必要ない

ただそういうものであるということを理解・・・認識さえすればそれでいい。

だから、
「心の抵抗があるから、自分の感情(ブロック)をよく見て対応しなければ」とか
「ちゃんとわかって、うまく行くためにやらなければ」とか
そういうことは一切必要ない。

結論どうなる。
物事はこうなっている。
ということが表面上理解できていればそれでいい。

例えば僕は、18歳のときに留学していたブリスベンのホームステイ先で、ちょっと・・・ほんのちょっと
「あり?歯が痛い・・・」
と言っただけで、ホストマザーに
「歯医者に行きなさい。連れて行くから」
と強引に連れて行かれ、
親知らずを4本抜かれ、翌朝はベッドのシーツが血まみれになり、片ほほがお多福のように腫れた。

どっちにしても為す術のない僕として唯一思えたことは、
「結局3ヶ月後には普通に戻っているよ」
という理解。

理解できても痛いのはなくならない。
理解できても腫れは引かないし、口が1センチしか空かないのも変わらない。
人から不要な同情されるのもなくならないし、余計なお金を使いすぎた不安も消えない。

でも3ヶ月後にはどうあれ元通りに戻っているという現実。未来じゃなくて。
それさえ知っていれば、それでよしその他のことはどうでもよい。重要じゃない
プロセスは重要ではない。長い目で見ればそういうこともある・・・という理解。

この理解は自分で気がついてもいいし、
人から言われて納得はできないが、そういうものと受け入れてもいい。

理解を上手く使う・・・理解しているだけで、
物事の見方と解釈が変わることがあり、
安心と安全を手に入れることができる、ことがあり
急速に物事がスムーズになることがあり、
自分らしくない不要な道筋を知らずのうちにたどることがなくなる
なんていうことが事実ある。

他にも理解の仕方はいろいろとあるので、しばらく連載で書いてみます。
~以下備忘録。
事実誤認と理解。マジメに向き合うことの誤認。
複雑(な構造)の理解。
スケールの理解。
結論の理解。
理解がブロック対応を不要にする。
「わかる」に集中すると「理解」できなくなる

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