自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「素ではない自分を受け入れてくれる人」と「素の自分であることを支持する人」は違う


久々コラムでありながら、気合い入った長文です。

ちと読むの大変かもしれないので、きっと誰かがまとめ&カンタン記事を書いてくれることでしょう。。。

「素」というのは「資質」と言ってもよくて、本当の自分自身、ありのままの自分・・・みたいなものです。

素は、自分で自分をほぼ100%に近い感じでうまく使える状態のことです。

場面や場合によって、資質がいつも必ず使えるわけではないけども、

素の自分として必要なら自分が自分として、自分らしく振る舞うことを選べる自分であることです。

この素の状態、素の自分を阻害するものがあります。

メンタルブロックや、処世術マインド。

正しい理由やリスクによって自分で世界を限定してしまう場合もあります。

ともかくも、

自分で自分の可能性を制約したり、限定したり、閉じてしまうことで

素の自分ではない自分として自分を作ってしまう・・・ということがあるわけです。

そのうえで、タイトルのこと。

素ではない自分を受け入れてくれる人というのは、

自分を制約したり限定したりしてしまっていても(つまりは素を発揮できない自分を自分で作っていても)

それをよしとして、受け入れ、認め、許す人のことです。

相手が自分を生かせず、むしろ苦しんでいたり、道を外れているとしても

見捨てず、大丈夫だと確信くれている人。

素であろうがなかろうが、その人が自分をうまく使えていようがいまいが、

その人そのもの、ありのままを、そのものとすることができる人です。

相手を受け入れ、認め、許すので、それが愛だと勘違いしてしまいがちだけども、

愛ではなく受容。

こういう人の存在は、それによって救われる人が確実にいるという意味でとても貴重だし、

救われるほどのマイナスな状態にない人にとっても、必ず必要な存在です。

素でなくてはならないという強制に価値を置かず、

相手が内省し、反省し、自分を改め良くしようとする行為を止めはしないが、

「そんなことをしなくても、そのままのありのままでよい」と認め、許す。

清濁併せ呑むことができ、ありのままの相手ではなく、現在の相手を基準にする

相手が今よりもマイナスになろうが、プラスになろうが、

そんなことはどうでもよく、関係なく、その時その時の相手としてただただ関係する。

素ではない自分を受け入れてくれる人(許し)は、

甘え、依存し、つけあがり図に乗ることを促進させることもあるし、

素ではない、素に向き合わない人同士で集合したり共同したりしてしまうデメリットもある。

「素で生きなくてもいいんだ」という誤った勘違いを生む可能性もよくある反面、

そこに大きな感謝を感じるなどして、

自分から自分の人生をうまく歩もうとする人も生まれたりもする。

許しをベースにしているので、こういうタイプの人は浅くて広い人間関係を築くことがよくある。

ちなみに「素ではない自分を受け入れていない」許しは、

単純にマイナスの成果を生み出す。

「許しを与えているから、素晴らしいことをしているのだからいいだろう?」なんていう無責任な許しは、

まぁこれ、つまりは許しではない。

素の自分であることを支持する人というのは、

素の自分を自分としてうまく使うことに注目し、促進することに

手助けしたり、サポートしたり、先導したり、指摘したり、気づかせたりする人のこと。

素の自分であることが、やはり自分自身であるのだから、

自分が自分として、自分の人生を歩んで自分らしく生きていくことに対して

いい意味でも悪い意味でも妥協しない。

自分がまだ気がついていない真の自分、

自分で知らないうちに、素の自分を封じ込めている物事、

その解除の方法とか考え方。

そういうものを伝えたり、手助けしたり、気づかせる。

相手が相手らしくあることに対してこだわり、相手の本質だけを見ている。

つまりは、本当に自分のことを時には自分以上に見てくれる。

相手に関わるキーワードは、許しではなく厳しさで、

その厳しさは相手が本当の相手であるために、いっさいの誤った妥協を許さないという厳しさ。

相手を認め受け入れているからこそ発揮できる厳しさであって、

厳しくするための厳しさではなく、優しさ資質の中の厳しさ。

こういう人は、自分の中の本当の自分だけに焦点を当てて、本気で本物を見てくれる人なので

自分のことを本当の意味で理解してくれている人だと思って間違いない。

ただし悪くすると、

本当の自分で生きたくない人、まだ向き合わない人をよしとすることはできないので

その人自身狭くて深い人間関係を築いてしまうことがよくある。

「素ではない自分を受け入れてくれる人」「素の自分であることを支持する人」

狭く、煙たく、許しはするが受け入れがたい存在に感じる。

本来の自分(相手)よりも現実の自分(相手)を受け入れるので、

本来の自分に固執して、その視点でしか物事を判別しない相手をして

理想主義者に見えてしまうことがよくある。

「素の自分であることを支持する人」「素ではない自分を受け入れてくれる人」

曖昧で日和見主義で、厳しさが通用しないことに受け入れがたさを感じる。

現実の自分(相手)よりも本来の自分(相手)

を受け入れるので、

刹那的な自分や相手を許すことからはじめる相手をして

現実主義者として個性殺しに加担しているように見えることがよくある。

が、

「素ではない自分を受け入れてくれる人」「素の自分であることを支持する人」を受け入れ、

「素の自分であることを支持する人」「素ではない自分を受け入れてくれる人」の本質開拓できれば

お互いにとてもいい関係を築くことができる。

自分が人と接するときに、どちらの方が得意だったり優位にあるかは人によって異なる。

が、

10対0ということはないのだから、どちらもやろうと思えば人間の機能としてできなくはない

片方ができるから、片方は不要だとするのは

人の機能としてはちょっと怠慢。

相手を受け入れる許しができる人は、相手の本質を見い出す厳しさを、

相手の本質を見いだす厳しさがある人は、相手を受け入れる許しを、

それぞれ身に付けるようにしてみると、

知覚が、人間関係が、自分の可能性が、それぞれ広がる。

「素ではない自分を受け入れてくれる人」「素の相手であることを支持する」視点を身につけると

安心の中に信頼と成長、時に強みの共同を促す関係が生まれる。

「素の自分であることを支持する人」「素ではない相手を受け入れる」ことをやってみると

知覚が広がり、余裕を身につけ、自分の可能性が広がることを実感できるようになる。

「素ではない自分を受け入れてくれる人」が身近にいて支えられているのなら、

「素の自分であることを支持する人」を探して安定的に自分を生かすことができる。

これをしなければぬるま湯に安住して、ただ許しの中で自分らしくない人生を歩むことになる。

「素の自分であることを支持する人」が身近にいて支えられているのなら、

「素ではない自分を受け入れてくれる人」を探して安心して自分を進めることができるようになる。

これをしなければ終わりのない戦いの世界で自分を生かすことだけが人生になる。

相手のことを思うような発言や、相手のことを考えない発言を聞いたとき、

その言葉に耳を傾けるか傾けないかは、この2つの前提があるかどうか?によって変わる。

多くの人は、自分の経験を語りたがり、意見が最上のものだと思っており、

受け入れないと気分を害したり、責任が伴わなければいい加減なことを言い逃げしたりする。

そういう言葉には耳を傾ける必要はない。

耳を傾けるべきか、傾けなないべきかは、

この2つの条件のどちらかに相手が当てはまっているかどうかによって変わる。

だから同じ内容のことを言われても、

「受け入れてくれる人」か「素を支持する人」が言えば心に届くし、

そうじゃない言いたいだけの人が言えば届かない。届くはずがない。

(なので、そういう人の言葉で踊っている人はさっさと踊るのをやめるべき)

自分のことを思ってくれていようが、思ってくれていまいがその内容は関係なく

相手が自分に対してどのスタンスで接しているのか?ということだけが関係ある。

【関連記事】

 聞いてはいけない人の言葉で踊らない

人によってそれぞれ、

「素ではない自分を受け入れてくれる人」が必要なときと

「素の自分であることを支持する人」が必要なときは違う。

人によって違うし、タイミングによっても違う。

例えば、生涯の伴侶を考えるときに必要なことは

「素ではない自分を受け入れてくれる人」であって

「素の自分であることを支持する人」ではない。

もちろん両方あっていいのだけど、物事の順番がポイント。

異性の相手に、「素の自分であること」を先に求めてしまうと

それは相手に対して理解される(する)ことを先に求めてしまい

相手のことを知っている、理解できている、自分をはっきできているから

お互い上手くいく・・・という理屈になる。

本当はお互い理解できていてもうまくいかないことはある。

理解などなくても相手を受け入れ、自分を受け入れ合える関係が上手くいく。

例えば、自分が自分として何かを成し、自分を使って生かしてやっていこうとするとき、

必要なのは「素の自分であることを支持する人」であって

「素ではない自分を受け入れてくれる人」ではない。

素の自分など使えなくてもうまく行けばいいじゃないか?という行動をしていると、

自分自身に必ず不整合や疑問が生まれる。

上手く行っている方が逆に強く生まれたりする。

そういう状態は許しても受け入れても決して解決しない

自分自身の本質に立ち返って、素の自分を生かすことに注目するから上手くいく。

許しなどなくても、正しい理解がありそれを使い合える関係がポイントになる。

素であることの重要性。

素でないことの重要性。

どちらも自分にとって必要なことで、できることでもある。

どちらもうまく自分のものにしていくのが、つまりは自分らしい人生の手助けなんだろうな。。。

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