自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「自由」にまつわる悲しい勘違いと、


感情を感じなくていいとき、を先に書こうと思ったけど
なんだかこっちの方がキテるので先に。

素を生かすライフコーディネート講座
話していることの一部です。

自由という発想が、ネガティブの回避から生まれている。
抑圧された体制世界からの解放から自由の発想は生まれている。
(それ以前から純粋な概念はあったのかもしれないけど)

日本でも自由の概念が入ってきたのは明治維新のときで、
福沢諭吉がこの言葉を作った。
(万札か自由かどっちが上か悩ましい)

束縛からの自由は、
ネガティブが回避された自由は、本質的には自由ではない。

本来の自由は、
離れることができることにある。

自由の不自由、というのがあって
自由であり続けること、不自由では決してないことは
その状態から離れることができないという意味で不自由になる。

「どうだーオレは自由なんだ~」
「自由万歳!」
「自由は素晴らしい!」
と聞き続けていると、
なんだか不自由な気がしてこない?

だから、
「好きなことを好きなようにやっている!」
というのは、ことさら自由ではない。

自由に見える。
自由に振る舞っている。
でも、そうでなくてはならないという意味で全然自由じゃない。

愛も自由を制限する。愛は万能ではない。

愛し続け、それが上手く行っている
自由ではなくなることがある。
離れられなくなる。

離れなければいけないわけではない。
くっついていてもいい。
愛してももちろんいい。
ただ自分らしく上手くいっている。
だから離れられなくなる。
不自由になる。

人は上手くいっていることを理由
物事を継続して、より上手くいこうとする。
それは何も悪くないが、
ただ不自由だとは言える。

離れることからも離れられる。だからくっつくこともできる。
なので、愛と自由は矛盾しない。

離れることからも
くっつくことからも
離れられる。
これ自由。

ただこの、
上手くいっていること・・・・たとえば愛が
明らかに自由を奪い、矛盾することもある。

こういう自由を奪う束縛から脱するのを
解放される自由という。
最初自由の概念が出てきたときの考え方である。

解放される自由は、独裁の悪政からの解放ではなく
主に上手くいっていることからの解放であることが多い。

上手くいっているものの方が、
ネガティブにまみれているものよりも束縛度が高い。

離れなくてもいいが、
離れようと思えば離れられるという選択が自由にはある。
離れられないものにほど、束縛されている。
つまりは不自由だといえる。

人は潜在的に愛を求めるように、同時に自由を求める。
愛はくっつくことをベースにしていて
自由は離れることをベースにしている。

本来は別の力で矛盾しない。
くっつきながら離れることや
離れながらくっつくことができる。

ところが、心に束縛と不自由の前提があると
(この前提があること自体が自由ではない)
この2つの物事を混同してこうなる。

まず人間の本能として愛を求める。
愛が手に入った場合、最初は喜ぶ。
次第にそれが不自由で束縛に思えてくる。
デメリットが持ち上がってくる気がする。
束縛と不自由からの自由を求めるようになる。

結局愛を手放し、自由も手に入らない。
なぜなら解放される自由だから。

こうも言える。
まず人間の本能として愛を求める。
愛が手に入らないことが続く。悲しむ。
次第に愛を求めることが不自由に感じる。
前を向いていることにデメリットを感じる。
愛などなくても自由にやれるさ!を求めるようになる。

結局愛を手放し、自由も手に入らない。
なぜなら解放される自由だから。

解放される自由がダメなわけではない。
が、自由をそういうものだとしているマインドはダメだ。

そもそも事実、そういうものではない。

そもそも、自分が自分を束縛して制限する独裁国に住んでいるので
何をやっても不自由からの解放を求めるようになる。

人間関係も、仕事も、プライベートもそうなる。
人によってジャンルは違う。

解放の自由の前には必ずガマンがある。
ガマンが限界になるまでは続く。
ガマンが限界になると
「本来の自分とは違う」
という理由で
解放の自由を求めはじめる。

わざわざ解放される必要は元々ない。
最初から束縛などされていないから。

なにものにも捕われないことが自由、というわけでもない。
人間何かに捕われるに決まっている。

むしろ執着が全くない人間がいるとしたら
何か大事なものを忘れてきたのだと思う。

執着があり、思い込みがあるとしても、
または成功体験の積み重ねを自分の軸にしているとしても
それを捨てるのが怖いのだとしても、

最初から「離れること」ができる
離れても離れなくてもいい、
しかしそれは「歴然とできる」のだ、

というのが本来の自由である。

この自由を間違えているとき、
上手くいっているが、上手くいっていない
ということがよく起こる。

ので、上手くいくということは
自由を測るときは何の役にも立たない。

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