自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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「諦める」と「諦められる」は一致しない


<追記>わかりにくいようなのでFBに解説した文章を本文の下に添付します
原文ここから


自分が誰かに何かを伝えることを諦めているとする。
とすると、それを伝えられなかった人は諦められている・・・のではない。

諦めている、と
諦められている、は
全く一致しない。どちらか片方だけで成立する。

【諦めている】方は、自分が諦めている。責任は自分にある。
物事に対して諦めているので(例えば幸せにはなれないと決まっているとか)
人を個別に見るようなことをしない。

そもそも諦めというのは「もうそんなことなら諦める!」と
高々に宣言して諦めるものではない。
もっと音もなくいつの間にか死んでしまったかのように
いつの間にかなかったことになり、いつの間にか自然にやらなくなることをいう。

あまりに自然すぎて自分で諦めていることに気がつけない。
「そういうものだ」と自然に思っている。
「信号は赤になったら止まるものだ」と同じぐらい自然に身についている。

だからそもそも、その諦めの対象になっているものを
手に入れようとしたり、その状態になろうとしたりしない。
最初からしない。最後までしない。負の感情を使ってでもしない。
しない。しない。しない。

本当はその諦めは、例えば親との経験から学習したものだったりする。
だから親という個人には通じなかったが
他の人には簡単に通じたりする。
だが「ない」ものを通じさせることはできない。

だから「諦めている」人は、誰に対しても一様に諦めている。

【諦められている】方は、個別にその人には無理だと判断されている。
あの人には伝えても、方法を変えても無駄だった。もう言うのをやめよう・・・というのは
自分が諦めているのではない。その人が諦められている。
自分がやっていることは諦めではなく、個人個人に対する判断でしかない。

「諦められる」というのは個別に個人に起こる。物事には起こらない。

何度言っても、伝えても、関わっても、信じても、待っても、行動しても
相手がそれを受け入れず、やらず、否定し、拒絶する。あるいは自然に不採用にする。
相手が特定の物事に対して必ずそういう態度を取るのであれば
伝えることや信じることをやめても、
それはその人が諦めたのではなく相手が諦められたのだ。

だから往々にしてその相手は、同じ物事で複数の人から諦められている。

諦めに対して自分に取り組むなら、だから
自分が諦めていることと
自分が諦められていることを
分けて別個に取り組まなければならない。

諦めはスムーズな無意識で
諦められは自分以外の他人が決めていることなので
どちらも分かりにくい。

そもそも諦められている人がそれを指摘されても気づこうとしない。
諦められているということはそういうことだ。

この諦めと諦められを混同すると、自分には責任がないのに責任があると思ったり(二次)、
諦められている人を諦めるのはいけないことだとか、諦められの正当化をしたりすることもある(逆次)。

だが、ここに本気で取り組めば、自分を足止めしている大きな枷を外すことになるので
これまで比較でいうなら上手くいくことは間違いない。


なんだかわかりにくい感満載ぽいので、改めてまとめます。

【諦める】と《諦められる》について。

■【諦める】
AさんがBさんを【諦める】とします。なんとなくBさんに諦められる理由があるように思えます。
でも実際には、Aさんが諦めているのはBさんに「ではなく」、Bさんと関係する上での何かのポイントです。例えば「通じ合う」とか「わかりあう」とか、「お互い心を許しあう」とか。

【諦め】は本人が気がついていないことが多く、「そういうものだ」という位置付けになっているので指摘されてもピンと来ません。
意識、自覚的には「無反応」です。

Aさんはその「ポイント」に諦めているので、実はBさんを諦めているのではなく、Cさんにも、Dさんにもそのポイントを諦めています。
Aさんが【諦める】のであって、Bさん、Cさん、Dさんが諦められているのではありません。

■《諦められる》
AさんがBさんから諦められているとします。Bさんが自分がポイントとするところを「諦める」としているのではありません。現にBさんはCさんやDさんとその「ポイント」に対していい関係を築いています。

Aさんにだけ、そのポイントが通用しません。通用しないなら「もう言わないでおこう」「そういう人なんだな」「やめた」など、理解や拒絶を示して行為を止めます。これは諦めではなく判断です。誰に何をどのくらい伝えたり関わるかは、「判断」によって決まります。通用しないから止めても、それは「いち判断」でしかありません。

だけど、Aさんが、Cさんからも、Dさんからも「伝えない」「関係しない」という判断を下されたのだとしたら、それは「Aさんが諦められている」ということになります。
《諦められ》は本人が気がついていることもあり、気がついていないこともあります。指摘されると拒絶反応かスルーを示し、いつも必ず自分の中で決まった答えにもどします。

これがAさんが《諦められている》のであって、Bさん、Cさん、Dさんが諦めているのではありません。

■【諦めている】ので《諦められる》ことはあるか?→ない
Aさんが何か人と関わることで諦めがあるとします。例えば本人にとってはごく自然に「心が通い合うことはない」としているとします。
それを見てBさんやCさん、Dさんが伝えることを止めたとしたら、これは判断です。単なる「私とあなたのマッチング」の問題です。

もしAさんが《諦められている》としたら、それはAさんが【諦めている】「心が通わない」ことに対してではなく、BさんやCさんが関係を持とうとしたときに、Aさんが「心が通わない基準」によって、『具体的に関係を拒絶する行為行動と結果』に対してということになります。
「心が通わない基準」が諦められるのではなく、いつも「拒絶される結果」が《諦められ》ます。
内的にどのような基準があるか?が《諦められる》対象にはなりません。

■お互いが関係しあい、よくしあいたいと思う中でも諦めはあるか?→あります
お互いが良い関係を築けるのは、お互いの一致点が多いからです。
おそらく心の交流も他の人に比べて多く、共有や理解の量も多いのではないかと思います。

関係は維持され、もっと良くなる意欲はあっても、「同時に」【諦める】《諦められる》ことが部分的に起こることはあります。

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