自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【コラム】感情を感じなくていいとき。


感情を味わい尽くす。
ということのメリットはある。
むしろやった方がいいと思う。

ブロックに関わるときや、感情の不整合があるとき
逆に言うと
嬉しいときや笑いが出てくるとき、
そりゃまぁ、感情やり切った方がいいよ。

これ結構普通。

だけど感情はいつも正しいわけではない。

感情は人間以外の動物にもあって
機能的に感情を見ると「センサー」の役割を果たす。

センサーというのは五感もそうで、
自分の外の世界を感知するための感覚器官。

平たく言うと、
外のキケンを回避し、栄養を入れるためのもの。
毒を栄養だと間違えて入れてしまうと不都合がおこり、
栄養を毒だとして排除してもやはり不都合が起こる。

ダメなものと良いものを分ける。
これがセンサー・・・感覚器官の基礎。

だから、負の感情は人はよく避けようとするし
避けている不整合に気がついた人は
直視して向き合おうとする。

が、

負の感情自体をセンサーだと考えると
乱暴に言ってしまえば
「イヤなものは避ければいい」
ということになるんだよ。

ただ人間は複雑にできてるので、たとえば脳とかが
感情のメカニズムが、その上の感覚器官によって
誤作動や誤認、勘違いを生み出していることもある。
(それがブロック)

たとえば、学習によって改善できるスピードが速いので
勘違いの学習によって、それを避けるスピードも速い。

でもそれは
その感情を感じなくてもいい勘違いなだけだった
なんていうこともよく起こる。

ブロック解除はそういうときに役立つ。

勘違いがベースにあって感じた感情は
全部誤認の筋道を立てていくので
感情を味わっても感じきっても何も変わらない。

そのままの不快感だけが残る。

こういうのは感情(心)の問題ではなく、
捉え方(頭)の問題だったりする。
頭を解決しなければ、決して心の問題は解決しない。

もはや感情は何の関係もない。

脳で言うと、小脳よりも上の部位が錯覚しているので
小脳では解決できない、という感じ。

もっと明らかに、感情を感じなくていい・・・
むしろ、積極的に感情を感じない方がいい場合が3つある。

ひとつは、未知のものに対して。

人はやったことのないことや、
知らなさすぎることに直面するとき
必ず不安や恐怖を感じる。

ちょっとした変化でもそれを感じるし、
ワケのわからないことではもちろん感じる。

これまでの自分が培ってきた物事と
違う物事を選択しようとするときにも感じる。

この感情を感じるのは結構ムダで、
なぜなら、
新しいトライやチャレンジは動物的に必ず不安を喚起させる。が、
新しいトライやチャレンジは人間的動作に必ず組み込まれている。

人間的な脳と動物的な脳の矛盾が起こる。

起こるものは起こる。
が、人間的にやろうと人間はする。
言わば、センサーが最新バージョンに対応していない。

もちろん新しいイコール危険すぎることもあると思うけども
ほとんどの場合はたいしたことがないのに
感情が過剰反応して不安を喚起させる。

こういう感情は感じなくていい。
もうちょっと付け足すと、
新しいことにトライするときは思考も役に立たない。
新しいこと、やったことがないことは
考えても決して答えが出ないから。

こういう場合は何も考えず、何も感じずただやればいい。

感情を感じなくていいふたつ目は、増幅させるとき。

人間は思考力が優れているので、
感情を増幅させることができる。

腹を立て続ければ余計に腹が立つ。
泣き出せば余計に悲しくなれる。
笑いが止まらない経験は誰にでもあると思う。

増幅はもともとの感情の原型ではなく、
自分で積極的に作った感情
で、
純粋ピュアな感情だとは言えない。

まぁ幻想やな。

もっと言えば、感情自体が波紋増幅装置だと言ってもいい。

感情が動く最初の物事は、ピンポイントで何か決まっている。
たとえば目の前で拳を振り上げられた・・・・としたら
そこに恐怖、悲しみ、怒りが入り乱れた感情があるとして
それが大きくて苦しくて、どうにかしようとするものだとして
うんぬんかんぬん・・・・

でも、拳が振り上げられたらかなりヤバい・・・というだけ。
原因を探るんじゃなくて、
この感情のポイントはそこにあるという原形に注目すれば
実のところ、さほど感情を感じる必要はなくなる。

キケンや毒を察知して、避けることがセンサーの役割なので
その役割を効果的に発揮するのは
実はシンプルなポイント理解だったりする。

過剰な感情は、本当は危険度に比例してればいいんだけど
ほとんどの場合でただ過剰なだけ。
ましてそれを増幅するなんて百害あって一利なしだよ。

最後が人の感情に過剰共感する場合。

感受性の豊かな人や人の気持ちを考え過ぎる人、
なんだか知らないけど相手が考えていることがわかる人に多い。

人が感じていることが、たとえその本人がわかっていなくても
こちらも感じてしまうことがある。
共感や共鳴という言葉を使うこともある。
もちろんそれがいい場合もある。

【例】 孤独な人

これは感情ではなく感性なんだけども
感性が優れていると感情、思考、その他もっと言語化できないことまで
人の何か獏としたものを感じ取ってしまうことがある。

それだけ感じ取り、受け取ると
感情がとてもしんどい思いをすることがある。
共感のし過ぎ、共鳴のし過ぎ状態になることがある。

そういう感情は一次的にセンサーが働いたのではなく
別の感覚である感性を通じて二次的に発生したものなので
・・・つまり、自分の純粋な感情ではないので
感じる必要は基本的にない。

それが自分の感情なのか、
感じ取ったものに共鳴しているだけなのか?ということを
自分で知って、
感じなくていいものまで拾っているのなら、
感情に悪影響を受けないようにしたほうがいい。

でなければセンサーは曇る。
曇ったセンサーは一次と二次を混同させ、
何が本当に自分であるのかを見失わせる。

感情至上主義ってトンデモな話で、
まして感情万能思考みたいのすらある。

ま、落ち着いて考えてみようよ。
人間なんだから。

don’t think, feel !!
てのがあるけど、これもナンセンス。

感じず考えた方がいいとき、
感じず考えない方が有効なとき、
両方一気に必要なとき、
いろいろある。

感情はひとつの自分なのだから、
うまく付き合えるのならそれは成功だといえるし、
ダメな付き合い方になっているのなら、
それは周囲の人がなんと言おうが、ダメなものはダメ。

だからただ「楽しければいい」なんてウソだし、
「感情に向き合う」なんていうのもウソ。

そういうウソにダマされず、
自分の感情を自分の道具として上手く使えるようになったら
それが自分が感情に支配されず、
感情とやっていくことができる、ということだと思う。

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