自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【フェイスブックコラム集】一生懸命生きている人を見ると一瞬イラっとする


 二次は暗い。またはテンションを上げる。
逆次は明るい。または死人の顔。

一次はなんでもない。
 

 14年ぐらい前から「うまくいくこと」に長けているヤツが
嫌いだった理由がやっとわかった。
なんだ、自分の人生生きてないじゃないか。
うまーく行くことと引き換えに、人生切り売りしているからだ。
http://ameblo.jp/ym11/entry-11929434400.html

 自由は離れることができる力のことで不自由からの独立ではない。
安定は自動的にうまくいく力のことで安寧を守るための働きではない。
自由はパターン化されると死に、安定は作業になると死ぬ。

 一生懸命生きている人を見ると一瞬イラっとする。
関係ないから一瞬で忘れる。

なんでイラっとするかというと、
ほとんどの人がほとんどの場合で
二次世界で頑張っているし、
もっと頑張ろうとするし、
その先に自分らしい良い未来があると
心のどこかで思っている。

そんなものはない。

そんなことするために生まれてきたんか?と思う。
アホちゃうかボケ、と思う。

一生懸命やっている人は、
もう既に、
一生懸命やらなければ「できない」何かに取り組む前提がある。

一生懸命やった方が、やる気も出る。
慣れているなら惰性でできる。一生懸命を。
評価してくれる人が出てくると
自分はこれで正しかったと思えるし
評価のために頑張れるという二次に次ぐ二次をやってしまう。

一生懸命やる時点で、
自分には向いていない、苦手な何かを取り組んでいることが多く
それができた方が
達成感、
満足感、
充実感、
を感じるようにできている。

逆に言えばこの三感を感じる物事は
全て自分らしくないうまくない物事と言える。

一生懸命しなくても、自分を生かし
上手く自分を使い、
簡単に手に入る成果から自分を生かすべきであって

元の一生懸命世界の癖でやっても
「もう何度もやってるから慣れてしまって
別に一生懸命やってないもんね」
ということをやり続けるべきではないし

そういう人はその状態を維持しながら
(決して手放さない。
これまでにかけた労力がムダになる(気がする)から)
次の一生懸命の努力をしはじめる。

だからほとんどの場合で二次に新しい世界を切り開いても
自分の運びや習慣は一生懸命から脱出せず
「前よりも楽になった」と効率のいいわけをしながら
(実際にはムダな一生懸命がなくなったり、慣れたりしただけ)
決して自分の運びを買えようとはしない。

余裕で楽勝からスタートし、
努力や懸命さを発揮しなくても
人よりも上手くでき、高い成果を得て、
三感に惑わされずに
【ただうまくいく】ということを
もっと追求して、高めていく。

そういうことをやっている人はほとんどいない。

努力や懸命さというのは、
その自分に備わっている天才的な力を
使い、高めたときに
やってくる天井が見えたとき、

それを超えるためにどうすればいいか、
これまでの余裕とは違い
自分を振り絞って
生きる力を使って当たる覚悟をして

生きているとその間に何度か
絶対に折れず、負けず、
人などどうでもよく
意思と信念を通して「超えていく」モノがある
ということにトライすることが出てくる。

一生懸命というのはもともと
一所懸命という言葉が語源で
一所というのが何か?は
当然人によって異なり、
それが自分にとって何か?というのは
自分の人生と生き方に関わっているに決まっている。

苦手を克服し
「みんな」や社会や人間関係を上手くするためのはずがない。
自分が自分を生かし、自分にしかできない自分であるために
懸命に努力するべきだと思う。

 自分と関わる周囲の人から何かを良くしていくのは、
結局現実の成り立ちで生きている誰に取っても必要なことなんだが、
その方法は当然個性によって変わる。強みが違うし。

儲けるのが得意な人は、周囲儲けさせればいいし
(周囲に売ることばかり考えてるのは成り立ちを無視している)
ファッションセンスがあるなら、周囲の近い人でそれを求めていたり、
うまい具合によくできるところまで、よくすればいい。

話すことが得意なら、周囲の大事な人から、その人と合う話をすればいいし、
話せなくて困っているなら話し方を教えてもいい。

逆に言えば、自分に備わっているものを出して、
うまい反応で残る人が何かを一緒にやっていく人、
つまり友達や仲間、あるいはパートナーで、
それに合わない人は淘汰されて消えていく。
人間関係は誰にとってもそういう風にできている。

これをコミュニケーションや相手に合わせたやり方からスタートすると、
関係性はうまくできるが、自分は死ぬ。
やりたくないことを提供し、難しいことを諦めずにやらなければならなくなり、
そういうやり方や生き方をしているうちに、
本当の自分のやり方に賛同する人が周りから消えて、
合わせたやり方にかろうじて賛同する人が残っていく。

だが、まだ、十分ではない。
嫌われるかもしれないし、十分に合わせられていない。
なので、もっと頑張らなければならなくなり、自分を出しているヒマは全くなくなってしまう。
悪循環にハマる。

悪循環を悪循環だと認めてしまうと、
これまで間違ったことを何年も続けてきたと認めなければならないばかりか、
周囲から人がいなくなってしまう恐怖に駆られる。
だが、実際に、その頃になると

あんたの心を本当にわかってくれる人などいない。

なぜなら、自分を中心に出して人と関わらず、人に合わせたり、
関係を上手く行かせるためにやり方を変えたから、
自然淘汰的に心からつながる人は去り、
表面の「関係を上手くやること」に賛成する人が残る。

本当の自分を良しとする人はいないが、認めてしまうとひとりぼっちになる。
バカな、自分は間違っていない。
これまで「上手くやってきた」と問題をすり替える。
上手くできたことは問題ではなく、
自分を心から支持してつながりを持つ人が【複数人数】周囲にいない現実が問題だ。

そういう人は、新しく自分のことを本気で理解しようとする人が出てきても、
最後には必ず拒絶して元の「上手くいく」世界に戻る。

心の底では自分のことを心から理解してくれ、つながりたいと思っている。
だが、自分でそれを拒絶する。なぜか?

上手くやり癖がついていると、
心の理解とつながりではその方法が「上手くいかない」ことを認めなければならなくなる。
そうするとたちまち(今までの)自分のやり方が通用しない痛手を受ける。
こんなに頑張ってきて、上手くできてきた。
それを支持する人もいるのに、この人は全然上手くいかないじゃないか!と思えてしまう。

そりゃそうだ。

表面でうまくいくスキルを駆使して生きてきたのだから、
もっと深いところ(には、弱いところも痛いところもある)を避けるやり方で
理解やつながりを持てるわけがない。
しかも、此の期に及んで「上手くいくか」「上手くいかないか」が基準になっている。
なんなら「上手くいくことの何がいけないんだ!」と逆ギレする。

上手くいくかいかないかなどもはやどうでもいいことに気がつかない。
そんなことを気にしている時点で、上手くいかない前提がある。
大事なことの基準が「心の理解とつながり」に変わらないので、
同じ世界で、同じ基準の、同じ方法に戻ってしまう。

これをやる気がないとか、変わりたくない、という。
だが、本人はやる気はあり、変わりたいと必ず言う。
だが、一生変わる日は来ない。

基準特に「上手くいくこと」も、大事なことも、考え方感じ方も、行動も、
痛みを引き受けることも、何もしないから。

最初から自分のできることを波及させている人は、
自然淘汰的にそれに賛同する人だけが残るので、
そんな苦労をする必要がない。
ただ勝手に合う人が残る。
だから、世界は親切でいい人ばかりだなぁ~みたいな認識になる。
合わない人間関係に腹をたてることも憎むこともなく、合わなかったな、おしまい、とできる。

この簡単なことを簡単にできない分だけ自分を失っている分量だし、
周囲に素晴らしい仲間や友達がいないことの証明になる。

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