自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【フェイスブックコラム集】感謝は心に従ってやれ


 決まったことを決まった通りにできない、
そういう枠やルールがあるとたちまち苦手、自分は自由度が高い性質だ・・・
というのは全部【甘え】な。

正当化は正しい理由でないとうまく正当化できないので、
自分はそういう人だからとか言い出す。
いろんな意味で間違ってる。

決まりごとのほとんどは多くの人ができるように作られている。
そのほとんどができないなら、それは個性ではなく欠陥だ。

決まりごとにも種類がある。
個性があるなら、こういうのは得意だけど、こっちは苦手
・・という言い方になるはず。

そして、日常生活を振り返ると、ほとんどが決まりごとで動いていることがわかる。
食べる、寝る、タイミング。仕事の仕方と内容。歯を磨く時間、回数。上げればキリがない。
決まりごとでは難しい方を探す方がより難しい。

決まりごとを避ける心理のほとんどはブロックだし、
決まりごとを守ると自分が失われるとか、そもそも苦手とか乱暴なことを言い出す。

決まりごとを完璧にできる。
だが、それはストレスがかかるし、自分には向いてないからやらない、というのと
決まりごとを守るのは苦手なんだよね、自分の方法でやるから別にいい、
というのとでは全然意味が違う。

どちらが優れているかというと当然前者で、
どちらもでき選ぶことができるのと、
最初から片方を諦めて一方しかできないのとでは全然違う。
(ちなみに最初から決まりごとを避けるのは逆次、
最初から決まりごとしかできないとするのは二次)

決まりごとを守らなくていいのは、その分野において、
決まりごとをはるかに超える天才性を出す時だけで、
天才でもないのに決め事ができないならそれはただ単に劣っているということだ。

一次というのは、どちらもでき、かつ選ぶことができる自分であることを指す。
苦手すぎ、劣りすぎているので本当にできないというものは最初からやらなくていい。
自己流も必要ない。
両方できるものからやることだ。

 高慢は一次
傲慢は二次を高めた逆次

 ただの天才はおもしろくない。
すごいとも思わない。単に強みなので、そういうものだ、と思う。
多ジャンルで天才性を発揮するのはすごいとは思う。
だが、それだけ。すごい!おしまい。興味にならない。

多くの天才性の発揮の上に世界が創られていくのはものすごい興味を引く。
ほんまスゲー尊敬する、天才はこうあるべきだ、と思う。
だが傾倒はできない。稀にそういう大天才はいるな、と思う。
ほとんどの場合それで終わる。
思い出さないこともあるし、すごいと思い続けてはいたとしても、
内容を思い出すことはほとんどない。

複数の天才性発揮の上、新たな世界も作るが、
さらに人の天才性を自分の世界創りのために使い、
自力と天才では決していたることができない、
「再現不能」な世界を創ることに興味がある。

これは自己組織化の中でも人間にしかできない最上のもので、
歴史の記録に残っている一部の人物を除けば、ほぼ誰もやっていないしなし得ていない。

オレの、天才の発揮は、ここにしか興味がない。
昔からその世界だけ見ている。

 間違った情報に従って生きてくと二次が生まれるわけだから、
トラウマ解除ではなく、間違った情報による体のストレス解除をすれば
一次になるとまでは言えなくても、二次の解除は可能なのではないだろうか?
ま、検証するのは上西さんなんだが。

 人が何かをやってくれたとき
「感謝しなければならない」という制約で感謝する人がほとんどだ。
または、ピンチでマイナスなときに救ってもらったり、
力を貸してもらえると心から感謝が湧いてくる。
マイナス回避のときに感謝する人がほとんどだ。

特に人が自分に何かをしてくれたとき。
基本的に「ありがとう」と言う必要はない。
なぜならそのほとんどの場合で頭から無意識で
「感謝しなければならない場面だから感謝している」のであって、
心から感謝が湧いていることはほぼない。

なら、それは社会性であって強調や強力ではないのか?
自ら孤立しないように組まれた人の知恵じゃねぇの?という見方もあると思う。正しい。

だが今言っているのはそんなことではなく、
なぜ「ありがとう」などと言わなくていいか?というのは
【相手を尊重するからだ】と言うことを知らない人が多すぎる。

相手は「その何か」をやりたくてやった。よかったできて。
そしてよかった、自分はそれをやらせてあげて→「受け止めることができて」だ。
相手が決めて選んでやったことを尊重する。それは【感謝とは全く別の物事】だ。

なら、感謝もしてもいいじゃないか!というのもあると思う。
オレもそう思う。していい。だがしなくていい。
相手の行為と、自分の心からの湧き上がりは必ずしもイコールじゃないから
相手の行為は【尊重】し、
自分の心から【感謝が湧き上がって来たら】ありがとうを伝える。

本来2つは物事としても、筋道としても、
そして別の人間の別の意図と言う意味でもまったく共通点がない。
それが人間関係、助け合い、場合によってはモラル、
つまり「関係性」が優位になってきたときにはじめて

【関係性から見て、「してもらう」「ありがとう」のワンセットにしようぜ!
だって「その方が上手くいくじゃないか!」】

という理由によって、本来別のものがくっつけられる。
そしてこのことに限らず、
【「本来別のものが」「うまくいくために」「くっつけられる」】のは、
いつも必ず恐怖心など負の感情を避けるために行われる。
法律がマイナスを避けるために作られるのと同じで、
マインドワンセットやルールはマイナスを避けるために作られる。

それが当たり前になり、疑問を持つ者が生きにくくなるにつれて、心の声は封じられ、
心の声のままに生きる者が排除されたり批判されたりするようになる。

たしかに感謝はしないが「尊重もしない」のなら、どのみち上手くはやっていけない。
ところが少なからず「感謝は心の状態によって左右する」が、
【尊重はいつも必ずしている】という人は、ほとんどの場合で社会的にもうまくやっている。
(社会ルールを守り心が死んでいる人とはうまくいかない)

相手を尊重することと
自分の心からそれに感謝が湧いてくるときは感謝し
湧いてこないときは全く何も言わないというのは
逆のパターンでも当てはまる。

相手から何かイヤなことをされたとき。
その行為は全く尊重できないが、
相手が何かの理由でそれをやらざるを得ないことは尊重できる。
それとは別に、
自分の心がそれに対して何も思わないときは「ふーん」と言っていればいいし
心から「腹立ち」や「怒り」が湧いてくるのならそれを伝えてもいいし、
その場を離れてもいいし、関係を切ってもいい。

ただの、それだけのことだが
これが自分も相手も尊重するということであることに
理想論言ってるヤツは気がつかないし、
「うまくいかない」という根拠でダメだというし

愛し合うとか、受け入れるとか、手放すとか
心を大きく持つとか、相手と同じ土俵に立つなとか
くだらなさすぎて笑ってしまうようなことを言い出す。

その背景には価値基準も世界観もない。
まして、個性や尊厳を守るつもりもない。

感謝は心に従ってやれ。
たとえどのように素晴らしい助けを得たとしても。
(「ありがとう」ぐらいは言ってもいいかもしれないが)
同時に、
相手の決断と選択を尊重しろ。

それが【心から】気に食わないのなら
攻撃なり、逃避なり、スルーなりをすればいい。

そんなことをやっていると「上手くいく」というのは難しくなる。
だが心の声を殺して上手くいく人生と
心の声に従って、上手く行かせる努力をする人生とどちらがいいか?

答えなど最初から決まっていると思うがな。

 そらそうと、教育や習慣によってではなく、
心から自然に湧き上がってくるのが【優しさ資質】なんだが、
だから当然個性によってモノが違うんだが、
その量の多い少ないも人によって違う。
感情あまりなさそうなのがブロックとばかりは言えず、
その人の優しさ資質の分量が少ないこともあるわけだ。

感受性や直感に優れているほど、
資質が開かれるきっかけが多いということなので、
情緒豊かというのはつまり、
優しさ資質の分量が多いということになる。
勝手に心から湧き上がってくるものが豊富だということ。

ま、ただの感情か見分けるのは難しいけどな。

一度それが、自分の持つ優しさ資質だと知ったら、
それを出し、生かし、ひけらかして生きていけ。
それが(この方面から見た)自分の生かし方ってことだな。

 Facebookでおはようおじさんとか、ほんま迷惑な人がコメントを~とかいう声をよくきく。
消そうや。んで、ブロック。

迷惑で、感情が揺れる人・・・例えば誹謗中傷とかだとわかりやすいよな。
でも、「あーこの人ずれてるな」とか、「そういうこと書いたんじゃないのに」とかも全部消す。
ブロックしてもいい。

オレは考え方が浅い意見をコメントに残すやつは全部消してる。
感想とかならいい。
主観が浅いかどうかは本人の自由だけど、こちらが関わる意見が浅いかどうかは、
本人が心で思うのは自由だけど、コメントなどで公開するのは、
自分も関わってくるので全部消す。

なぜか?

人の違う意見を受け入れららなあ心の狭い人だからじゃなく、
違う意見をもらうために投稿したり、Facebookをやっているのではないから。
もし感情が嫌な思いをするとか、何かの違和感を感じるなら、
そんな思いをするためにやっているのではないから消す。

自分がFacebookをやっているのはなんでだろう?に忠実にやるだけ。
自分にとっていいコミュニティを作るためじゃないのか?
人によってその後の目的は違うと思うけど。

それいらないんですけど、は、大きなものだから拒絶するのではなく、
小さなことをコツコツと削除する方が大事。
これは人間関係と同じで、小さな我慢の方が永続的にストレスを与えて
「普段」を良くないものにしてしまう。
嫌なことは嫌と言えた方がいい。

これができない人は、もしFacebookを使って集客するなら、
そのなあなあさを持つ人が集まってきやすいし、
人間関係でもやはり同じことが言える。

何でもさっさと消せばいいと言ってるのではなく、自分がそれをやっているのは、
うまくいく人と関わるためであって、うまくいかない人に足をすくわれるとか、
悩むためではないのだから、何をどのくらいするべきかは決まってるでしょ?ということ。

Facebookでこんな人がいて~とか話題になっている時点で、
すでにできていないことを告白しているようなものです。

 心は良いものや正しいものではなく、強いものに流される。
強いものに一瞬流されてから、それが良いとか正しいと理由をつける。

さて、そのこころが流されるのにも種類がある。

一番浅く、筋も通っていないのが感情に流されること。
しかし感情は大きなインパクトがあるので、がーんとなりやすく、影響も大きい。

次が心理にインパクトがあること。
人のメカニズムに則ったがーんなので抗えない気がするから、
「だからそうなんだ」と信じてしまいやすい。

次が心の状態にインパクトがあること。
ゆらぎに大きなインパクトがあると、ほとんどの人はそれを止めようとする。
が、感情や心理と違って、このゆらぎは受け止める必要があったりする。
逆に安定させるインパクトがあることもある。
何か強いがーんによって心の状態が安定するなら、
それはかなり自分にとって採用した方がいい、ということになる。

最後が心の声にインパクトがあること。
心の声は本音中の本音なので、社会的常識感などで封じていたものが、
それでいいとわかった時などに強いがーんがやってくる。
このがーんは積極的に採用した方がいい。

誰しもががーんという強いインパクトに影響を受ける。
だがその影響の中に自分として採用していいものと、いけないものがある。
今受けたがーんは、どのがーんなのか知れば、
どのように扱っていけばいいかがわかってくる。

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