自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【人気再アップ】さらに「好き」という気持ちについて


こっちの続き。
「好き」という気持ちのワナ

純粋な「好き」好きという気持ちも
その多くの場合で二次的に気持ちが湧いてくる。
という、珍しい特徴がある。

わかりやすいところだと

可愛いから好き
カッコいいから好き
美味しいから好き
好いてくれるから好き
興味があるから好き
上手くできるから好き
とかとか。

何か、
自分の中に好ましい感情、または
自分が良しとする状況や状態が背景にあるので

「好き」という気持ちがわいてくる。

一次的に「好き」というのはほぼない。
同じことは「キライ」に対しても言える。

たとえばオレは、
ムスメののことが大好きだ。
条件などない。見る→好きだ!!と言いたい。言えると思いたい。

だが。

オレは他の子供、赤ちゃんはみんなサルで見所がひとつもないと思っているが
ねねに対してはなんかえにも言えぬ好きな気持ちがわいてくる。
しかしもし、
そのねねの顔、体、行動のアホさが
他の子供さんのものであったとしたら
果たしてそこまで好きだろうか?

もし。

そこまで好きだ!そんなの関係ねぃ!と言えるとしても
じゃあそれが血がつながっているという条件によるものでは?
という二次的気持ちの可能性も十分にある。

ではもしねねがねねのままで、
しかし血がつながっていないとしたらどうだろう。
かわいい。可愛すぎる。とは思うだろうけど
今ほど好きと思うだろうか。。。

好き、にはそれが純粋なものであっても
そういう不安定さ、危うさがあったりする。

だから、好きであったものは簡単に好きでなくなったりする。
(嫌いだったものはブロックが関係するのでそうそうキライがなくなりはしない)

たとえば、マルセイバターサンドが美味しいから好きだとするなら、
「美味しい」という感情×主観の「気持ち」が生まれるんだが、
その後に「だから好き」というまた感情×主観の「気持ち」が生まれる。

そういう意味で好きは本当にややこしい。

最初に「美味しい」が生まれるので、
もし味が大幅に変わるとか、
主観のものの見方が変わることによって
「美味しくなくなる」ことがある。
すると連鎖的に「好き」でもなくなる。

「美味しい」ということは変わらない。
だが「さほど好きではなくなる」ということもある。

好きという気持ち自体がものすごく不安定な状態にあるので
(もちろん変わらないものもあるが)
好きに依存し過ぎると逆に感情がわからなくなったり
感情の変化に心が着いていかず苦労することがある。

そうならないための一次的好きは、なんなのか?
そもそもあるんか?

完璧な一次はなかなか難しいけども
ひとつ言える自分なりの好きというのはある。

フェチがそれにあたる。
フェチは実のところ後天的に作ることもできるが
なんだかわからんがとにかく好き!という
一次的にかなり近い気持ちを生み出す。

それから、子供の頃から「なぜか」ずっと好きなものも一次に近い。
それは好きだから好きなんだと言える。
(難しく言うと価値基準に当てはまっているものが一次に近い。が、正確には価値基準に合っているから好きだという意味で二次になる)

まぁ、そのあたりを探ってみると
自分の純粋な好きが何か(一次)
条件付きで好きになっているものが何か(二次)
満たされない想いが満たされるから好きなのか(ブロック)
の見分けがつくようになってくる。

やはり一次に近い方が自分らしいと言えるし
自分らしく好きでいると言える。

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