自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【人気再アップ】その子育て、正しいから間違ってます。強みにも関係するおハナシ


まぁ、じゃあアンタ育ててんの?ってハナシは無視するがね。
たぶんものすごいいいこと書くから、ま、読んでみてよ。

子供の強み、気になるよね?
個性やもともと持っている資質を生かすこと。
親から見てわかりにくいものもなるべく許容して
その子自身を伸ばしてあげたい。
少なくとも強み発揮の邪魔はしない。

強みだけじゃない。
優しさ資質ってのもある。

思いやりや感謝にも個性がある。
大体そういう個性も親が見つけて伸ばしてあげれるといい。
親の感性が鈍いと子供の優しさは見逃されがちだけど
それでも(強みも同じで)注目するポイントを押さえれば
その子自身の特徴を伸ばすことはいくらでもできる。

優しさ資質伸ばすにはもうひとつあって
親は絶対に自分の味方だと知らせること。
よく言われるのは目を見て話すとか
一回手を止めるとか
抱きしめるとかそういうのもまぁ否定はしないけど

ま、全力でオマエのことは守るって態度が
はっきりと伝わっていれば何でもいいと思う。

そして、こういう個性を伸ばす子育てをするからダメなんだ。

個性を伸ばしているほとんどの親に共通しているのが(当社比)
社会性の放棄、ちょっと言葉がキツいか。
そこまではいかなくても社会適応の責任欠如。

個性を伸ばせば社会適応できないのなんて当たり前。

社会性ってのは平均値。
平均世界が外の世界なんだから、
その世界でどうやって泳ぐべきか、
礼儀は何か、しつけは何か、きっちり教えるべき。

いっちょまえとして責任を持つことを知らない子供に
「あなたの意見を尊重する」とか大間違い。
意見も尊重も事実を知らなければできない。

何がどうできているのか。
誰がどのように感じるようになっているのか。
その中で自分の位置づけはどんなものか。

そんなん学校で習うもんじゃないだろ?
親がきっちり教えずに誰が教えてくれる?
許しばかりやっているのは無責任。
厳しくやってばかりなのは接触放棄。

社会に呑み込まれるのではなく
社会の構造を正しく理解して自分の生かしどころをつかむこと。

ルールもきっちり教えて守らせること。
そういうのは当然やるべきことだ。

そして、そういうことを教えるから子供はダメになる。

本当は早い結論として、
個性も社会性も両方とも伸ばせ、と言いたい。
が、まだ早い。

現実を見よう。

強みなどの個性を伸ばす親にほぼ共通しているのは
自分が強みを生かしている人に多く見受けられ

しつけなど社会性を伸ばす親に共通しているのは
自分が社会適応を正しくしている人に多く見受けられる。

どちらもできていないのは、どちらもできていない親に多い。

つまり。
誰も彼もが【自分】を子供に適用している。

こどもはアンタじゃない。
そんなアンタが個性と社会性の両方を伸ばそうとしても
それはアンタの方法であって、ひとりの個性ある子供の方法ではない。

これは、あれだ。
「自分がバレリーナになれなかったから子供をバレリーナに!」とか
「自分が医者だから子供も医者を継ぐ!」ってのと同じ。くだらない。

強みや優しさ資質を見るとき、こういう親は
自分の強みを子供が持っていると重視せず(自分では当たり前なので)
弱みを見つけるとイラつきながらどうにかしようとするか、諦める。
そのどちらにも当てはまらない突出した部分を
「それがあなたの強みよ」とか決めてしまう。

実際にはその突出と、自分も持っている強みを子供が持っている場合
その両方をして強みになる。
が、親は自分の目線で強みを判断して決めつける。

逆もある。例えば霊性に優れている親は
子供も霊性が備わっている場合否定しない。肯定する。
その結果「他の強み」は無視される。・・・あり得ない。

逆に社会性はその親の育ってきた過程上、
上手くいったものをしつけ、ブロックがあるものを避ける。
自分の経験が子供の経験になる。・・・あり得ない。

こうして結局のところ、個性と社会性を重視する親も
「偏った個性」と
「偏った社会性」によって子育てをし、

その子自身を生かすというよりは
他にその両方を両立できる人がいないからという
消極的な理由で
「うちは子育てに成功した」
「子供はいい子に育っている」
と勘違いが生まれる。

ついでに子供も同じように勘違いする。
この親にしてこの子ありだ。

なんでこんなことが起こるのかというと
親が自分の経験をベースに、
自分の価値観をベースに子育てをするからで

一般的に言われているような
親のブロックや自己中心的な態度が
子供に悪影響を与えている!なんてことは思ったよりも少ない。

良かろうが悪かろうが、
親の人生を子供に乗せることによって子供は曲がる。
親が強みを生かしているとか、
親が社会性を生かしているとか
そういう正しい理由によって子供が曲がることに
真剣に取り組んでいる人が本当にいない。

正しく個性を見たときに本当はどのような子なのか。
正しく現実を見たときに、今どんな世界があるのか。

その両方を満たすために「この子」がやるべきことは何か。
それを見つける。探す。
見つかったら適用する。

愛情とかそういう問題じゃない。
適切な接し方の問題でもない。
それは主語が親になっている。

この子は誰か、現実は何か、両立するにはどうするか
という主語は「この子」によって決まる。

だから兄弟であっても行うべきことは変わる。
平等などありえない。

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