自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【人気再アップ】よく泣くのが全くムダなとき


感情を出すとか解放するとか
そういう効能はよく言われているし
やれるだけやればよい。

その効能はどっか他のところで探して。

そもそもオレはコンサル中に相手が泣くことも多かったが
ガンガン泣けばいいと思う。
人がいようがなんだろうが全く気にならないし、オレ。

ところがだな。
悲しいことや、悔しいこと、自分を失していたことなどで泣くとき
それは泣けばいいのだけども、だがしかし
泣く必要がないことで泣いていることがある。

前提が間違っていることがある。

たとえばそもそも愛されているのに
愛されていない、ここはそんな世界だ!と勘違いしていると
ちょっとした心配りを向けられたときに
感動して泣いてしまうことがある。

つまり、
こんな愛のない世界で、でもこんなに優しくしてくれた・・・・

いやいやいや
そもそもオマエ勘違いしてるし
勘違いしてる上での感動ですか~~みたいな。

そもそもそれ感じる必要なくない?てこと。

感じる必要がない設定があり、
それがあるために感じることができるようにする。

良く泣く人はこの設定間違いをしている可能性があり
泣かなくていいものを泣けるような自分を作り
それによって
「自分はできている」と思う正当化の手段にしていることがある。

これは何も泣くだけのことではなく
笑うことも
いい気分になることも
怒ることにも使われることがある。

その人が得意なものでその感情を感じれば
自分はここにいる、と証明するために
わざわざやっていることがある。

こういうのの全てが感じなくていい感情となる。

つまり感情にはムダな感情というものがある。
ところが、カウンセラーやセラピストを見ても
そこのところを理解している人は少ない。
というか、ほとんどいない。

だから出せばいいとひとくくりでまとめたり
解決に近づいているとウソをつくことになる。
未熟者は専門家やめてね。

こういう設定間違いの感情は
ほとんどの場合で自分を正当化するために使われていて
その構造にメスを入れなければ
決して解決することはない。

感じなくてもいい感情を感じるとその自分を正当に感じ、
自分を生かす自分は死ぬ。
錯覚と誤解の世界が自分の世界になる。

感情が感情の問題でないことがある。
それにひとつひとつ気がついていくことは
結局自分を知ることのひとつになる。

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