自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【人気再アップ】愛が及ばなかったことはありますか?


ラブがたりではなく一人踊るセミナー。すなわちマジメ系コラム。

すごく深い愛を持って接した。

だが思うような良い結果にならなかった・・・
という経験はないか?
(愛そのものを諦めてる人はそういう経験はない)

それは相手が愛を受け取れなかったのではない。
自分の愛の形が不十分だったのでもない。
そもそもその愛自体に問題があった。

愛の誤認はいくつかある。

まず、深い想い・心から相手のことを想い慈しむことが愛だと思っている人がいる。
こういう人はかなり連続で失敗する。

愛は必ず結びつきが関係する。
結びつかれなければ愛は失敗に終わる。
たとえ明確な結びつきではなくても
弱く、距離のある結びつきでも愛はある。

それを強く、距離の近い結びつきにする必要があるのに
そのことを根本的(無意識)に諦めている人は
具体的に愛の行動を取るところで、
想いや慈しみという自分の内面の問題とすり替える。
(二次も逆次もこれをよくやる)

「私はこんなに想い慈しみ、心から愛しているのに・・・・」上手くいかない。
こういう言葉が浮かぶような状態にある人は
愛を実践しているつもりになって、そして必ず結果を逃す。

主語が自分中心で、愛も自分のことしか触れない。
そんな愛がうまく行くはずがない。
うまく行っているのならそれはたまたまだ。

結びついてはならない人と結びつこうとするときにも愛の誤認が起こる。

相手が自分に害悪を及ぼし、自分と人生のためにならない人を
愛さなければならない!というとき、愛が成立しても何もうまくいかない。

また、
結びつけない人に対して諦めずに結びつこうとするとき、
やはり愛がうまく作動してもいい結果は得られない。

要は愛する相手を間違うということ。

前提が間違っているのに、愛が上手く通るはずがない。
愛してはならない人、むしろ排除しなければならない者はいる。
人によってそれが誰かは異なる。

もっと根源的なこともある。
愛すること、愛されることの両方に長けている場合
愛が及ばないという世界観を持っていることがある。

自分の愛は出す方も受ける方も及ばない。

だから、もっと能動的に、受動的に
自分の愛を磨き、出し、結びついて行かねばならない。
この考え方自体が誤認だったりする。

もし自分の認識している愛が、自分の能動と受動の結果だけなのであれば
根源的に愛を諦めている可能性が高い。

何もしないのに既に愛の関係であることは何なのか、
ただ自分がいるだけで成立してしまった愛は何か?

ということに注目するとこの病からは脱出できる。

この3つの「愛が及ばない」ケースは、単純に誤認で片付けることはできない。

人の頭には「愛さなくては(し合わなくては)ならない」という思い込みがある。
または「愛は尊い」とか「愛は相当重要だ」という偏向がある。
だから愛は勝つとか、最終的に愛に優るものはないという眠たい誤認が生まれる。

「人を動かすには誠実であれ!」
愛に近いことを言われると思わず納得してしまう。
ところが現実には、
誠実でないのに人が動くことや、
誠実な人ではないのに人が動くことや
誠実が一切見えないのに人が動くことや
誠実はひとつもないのに人が動くことがある。

愛は関係ない。及ばない。
つまり、愛が関係ない(及ばない)ジャンルや分野がある。

4つ目の間違いはジャンル分野の間違いで愛は及ばない。

愛は自分にとって自然に存在し、既にできてしまっている上に
自分や自分の人生を動かす上で単なるいちパーツでしかない。
大事な大部分を占めない。

自分にとって必要不可欠な愛を知らない者が
理想論にしろグチにしろ管捲いた中心で愛を叫ぶ。
みっともない上に哀れだ。

しかも大抵愛が何か?を正しく理解していない。
気持ちと想いと慈しみだと思っている。
これでは一生うまく行くわけがない。(たまたまを除いて)

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