自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【人気再アップ】自力でできる練習は自分で


小中高とサッカー部で。いつも思ってたことがある。
基礎体力をつけるための走る練習。

「ムダやわー」

と。

走り込みがムダなのではなく、
明るい時間帯にボール触らんと
暗くなったら打ち切りになる。

明るい時間帯に走り込むのムダくね?

暗くなってからでも走れるし
走るだけなら自主練で十分走れる。

なんでみんなで仲良く走らなあかんねん?と。

自分でできることを人がいた方ができるとか、
暗くなってもできることを明るいうちにやるとか、

そういうの本当にムダ。

そしてそういうムダなことを、
「どうやったら上手くできるのか」
「メリットは何か」
「自分はみんなが一緒じゃないとできないタイプだ」

とか、ムダにムダを重ねたドロムダ。
略してDM。

これをセミナーに置き換えるとワークがムダ

ところが。
セミナーではワークがたくさんあると顧客満足が上がる。

たしかにワークは
ある一定の「結果」を出すから
セミナーやって結果が出るならそれもいい。
しかも連帯感が生まれたりもする。

でも、そんなん家でやればいいんじゃないのか?

ひとりでできることをみんなでやり、
連帯感とちょっとした結果に満足して

そのセミナーでなくてはならないことはおろそかになる。
意味、なくないか?

自分でできることを人と一緒に甘えてやり、
人と一緒でなくてはならないことや
その場でなければならないことをおろそかにし、

自分で出せる成果を
他の人と一緒に、その場のことをないがしろにして身につけ
やった気分になる・・・・・

もうこれ、
生き方がムダ。

たとえば、男女間でもこういうことが起こるけども
自分ひとりのときにやればいいことを
相手を巻き込んで
「協力してもらっている」とか
「一緒にやってほしい」とかいって
相手の時間をムダにつぶす。

しかし、一応
一緒に共同作業を行い
ひとつの成果を協力して導いたことに変わりはない。

それが錯覚を生むことになる。
オレたちうまくやってるぜベイベ!とか勘違いをしはじめる。

自分にとって、
何がひとりのときに自分でやれることか、
何がひとりのときではなく関わりの中で生み出すか

知らない人が多いし

逆のことをやって結果やメリットをとることで
自分を正当化している人も多い。

そういうムダをやらない人が
芯とか軸のある人であって
そういう人を測るのに

結果を出しているかとか、
周囲にどんな人がいるかとか、
どんな評価や認知をされているのか?とか
自分自身で自分のことを肯定できているか?とか

そういうのは何の基準にもならない。

自分ひとりでやるべきときにやるべきことをやっているか、
自分ひとりではなくやることを、やるべくやっているか、
それを逆にしていないか、

それが「なんだかわからないけども揺るがない」
という自分を作る原動力になっている。

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