自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【共感に流される】〜フェイスブックコラムまとめ002


松原靖樹のミニセミナー・ログ共感は、心と心のつながりと言ってもいいと思う。
もう少し細かく言うとしたら、
わかり合える、
感じ合える、
認め合える、
五感感覚が一致する感じがする、
波動が共鳴する、
などなどいろいろな言い方ができる。

大きな共感はそうそう経験できない。
が、
仲のいい人や身近な人とは長年の経験や
そもそも持っている似通ったものによって
共感しやすくなっている。

だから、流される。
「共感」が正当化に使われる。

共感し合える関係のほとんどは、自分を生かさない。
つながり合えはする。
けども「生かす」こととは関係しない。

わかり合えるし、認め合える。
でも「生かす」こととは関係がない。

が同時に、
「これが私」
「自分を生かしている」
「私には仲間がいる」
などという正当な正当化の理由によって自分を殺す。よく殺す。

共感は、人とのつながりを感覚器官を通じて認識できる。

ということは、
「人とのつながり」という
大事な栄養源をうまく確保しているということになる。

その栄養源がなければ人は死んでしまう・・・
寂しくてたまらなくなり、
気が狂いそうになる人も出てくると思う。

つまり・・・

共感はその機能の前提が
【人としてのマイナスを避けるため】にある。

共感を大事にすればするほど、
マイナスは失われ安心、安全、感謝、感動が手に入る。
が、プラスを生み出しはしない。
ものが違うからである。

つまり自分を生かしはしない。
自死しなくていいことがどんどん確定するだけである。

だから共感は自分を生かすと錯覚され、
自分を生かしていると勘違いする。

自分を生かすには共感ではなく、
自分の機能をうまく使うことが求められる。
【共感されなくてもうまく使えていること】が必要になる。

違いわかる?

共感に流され、正当化している人は一見素晴らしく見える。
友達や仲間に恵まれているように見える。
実際に恵まれている。

そのおかげで「うまくいく」ことは無数にある。
でもそれと自分を本来の自分として使うことは一致しない。
「ただうまくいっている」だけ。

本来の自分を自分として使っている人は、
その後に、その自分に対して共感する人が現れる。
自然現象として、自然派生的に生まれる。

共感がないから、ヤバいから、
共感しようとして生まれるのではなく、

自己中心的に振る舞うことに賛同するから共感される。
これが「自分を生かす」ことと「自死を避ける」ことの両立ということ。

だいたいどちらかに偏っている。
そして偏りを正当化する。

正当化によって成り立っている自分は、
どんなに素晴らしいものを得ていても未熟者。

オレには共感グループが気持ち悪く見える。
そう見えない人が信じられない。
目を醒ませ、と思う。

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