自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【心の強み04】気分と気持ち


■人格を上げていく方法は人それぞれ違う。個性が違い「心の強み」が違うのだから方法は違うものになる。
だが結果から共通している絶対条件だけを探れば、人格が高い人は行っているが、漫然としている人や、自分を下げている人は行っていないという明らかなことがある。
 
その最初に注目すべきは、前回書いた「行動」と「基準」の違いだ。
 
成果を求める人は必ず行動から考える。成果を逆算して行動を考えることもある。だが、心の強みを中心に起き、自分の人間性を使い、高めることに注目している人は、人格の基準から物事を進める。
 
何事に対しても基準が守られているか?が根底にあるので、必ずしも行動や成果に注目しない。
行動からスタートする人がどのような場合も必ず「上手く行うこと」が想定されているのとは違い、基準ありきの人は「上手くできる」「失敗する」ということを問題にしない。行動ありきなら問題になるだろうが、基準ありきならそれが守られるかどうか?がもっとも重要で、失敗したなら基準を元にやり直せばいいだけだし、基準に反していることがわかったら止めればいい。
 
行動よりも、「何」よりも、人格の基準をベースにする
 
これは前回すでに見たことなので、次を見ていこう。
 
 
 
 
■わかりやすく、そして確実に両者を隔てる。次に見ていくのは「気分」と「気持ち」の違いだ。
 
通常「気分」といえば軽く、移ろうもの、と思われている。に対して「気持ち」は心から想っていること、というイメージがある。気分は軽く、気持ちは一定量重いと思われている。だが事実はそうではない。
 
気分にも強い気分と弱い気分がある。気持ちにも強い気持ちと弱い気持ちがある。2つは全く別の物事で、しかし多くの人が混同しやすい。
なら気分は責任がなく、気持ちにはある程度の責任があるのではないか?と思う人もいるんじゃないか?これはいい線をついている。
 
 
気分には「結果に対する責任が曖昧」であるという気の持ちようがある。
一方気持ちには「結果に対する自己責任がある」という特徴がある。
 
どういうことか?
 
 
 
 
■どちらも結果を果たさなければならないという義務はない。
どちらも目に見えず、心の中で完結している。出来なかろうが、やらなかろうが、誰が見てもそう思っているかどうかわからない。
 
だがもし「気持ち」があるのだとする。
 
・好きな人ができた。お付き合いしたい。だが気持ちを伝えることができずにいた。するとその人は他の人とお付き合いした
 
・勉強して絶対習得してやると決めた。だが毎日忙しい。毎日の作業をこなしながらなかなかできない。でもやらなきゃとずっと思っている
 
・売上を上げると決めた。自分なりに試行錯誤しているがなかなか上がらない。人に聞いたら苦手な方法を言われてそれもできない。でも必ず上げていこうと思っている
 
この3つはどれも気持ちがないそして気分だということがわかるだろうか。
 
どれも結果は「何もしなかった時」と同じ状態になっている。
それから、「気持ちがなかった時」と同じ状態になっている。
なら逆から考えて「気持ちはあった」と言えるのか?
 
気持ちがあるなら自分でそうであると決めたことがなされる成されるようにやるんじゃないのか?
 
 
気分というのは結果に対する責任が曖昧で、ほとんどの場合ない。気が向けばそうなるだろうし、多くの場合気が向かないか、向いても難しければ止めることが多い。
その場合結果は「得られなかった」という状態になる。ごく稀に(気が向けば)「得られた」となることもある。
 
この気分と「同じ状態」になるのだとしたら、それは「気持ち」があるのではなく、「強い気分」があるということだ。
 
 
 
 
■「気持ち」も結果に対して義務のようなものはない。あるのは結果ではない。結果に対してそうしてやろうと気を向けた自分との約束がある。
 
・あの人のことが好きなんだ付き合いたい
(という希望が大事だとした自分との約束。自分が大事なことに対して自分はどうする人なのか?)
 
・勉強して習得するのはその結果自分がどうなりたいのか?のためにやるはずだ
(という結果のイメージに対する約束。自分がイメージした良い状態に対して自分はどうする人間なのか?)
 
・売上を上げるのは多くの場合「事をなせる自分」を扱う
(ということを可能にするためトライしようという約束。という物事にどのように取り組む自分なのか?)
 
自分との約束を【基準】として守るのであれば、そうであるように自分を動かすこと。そういう結果になるように自分を運ぶこと。そうしようという意欲によって自分を扱おうと実践するはずだ。
この太字と下線のところが「気持ち」になる。
 
結果は必ずしも出るとは限らないが(例:告白したが断られた)、自分との約束はきっちりと守っている。どのような結果に落ち着こうが自分との約束を守り、結果に対して(それがどう転ぼうとも)の自己責任は果たしている。
これが「気持ちがある」という場合の所作になる。
 
気分はいくらそれが強くても、約束と結果に対して曖昧で根拠がない。
 
 
 
 
■もしあなたが誰かに30万円を貸したとしよう。相手が困っており、大切な人だから貸した。だが今月末には返してもらわなければ今度は自分がまずいことになる。相手を信頼してお金を貸したとしよう。
 
その月の末日。相手に会って「今日返してくれるよね。本当に困るのでよろしくお願いします」と言ったとする。貸した側からそういうのもおかしな話だが、そこは無視してほしい。
すると相手はこう言う。
 
「今日必ず返す」
「本気だ」
「返さないなんていうことはありえない」
「自分は踏み倒す人間ではない」
 
すごく真剣味が伝わり、本気で言っているのだという様子だ。
さて、これは気分か、それとも気持ちか?
もちろん言うまでもなく「気分」なのだが。
 
気持ちがあるのであれば会った瞬間に現金入りの封筒を差し出して
「遅くなって本当にごめん。ちゃんとあるか確認して」と言うはずだ。
 
気持ちがなくて気分の人は、それがどんなに「強い気分」であろうが
「やるやる」と宣言するという特徴がある。
 
こういう人は人格が低い・・・というよりも不思議と人格が低い人は必ずこれをする。
 
 
では気持ちはあるのだが、現金が用意できなかったらどうするだろう?
もっと早い段階で相手がなぜ金が入り用なのか、どういう結果になればいいのか
ちゃんと知って、現金ではない解決を自分が導ける方法で実践しないか?
そういう「何か」が何ひとつない。そして「やるやる」言っている。
 
それは強い気分であって、気持ちではない。「やる気」はない。
 
人格が高い人は「気持ち」を「気持ち」として扱う。
人格が低い人は「気持ち」と言って「気分」を扱う。
これはどのような場合もなぜか共通している。
 
 
 
 
■もう少し共通して言えることがある。
「気分」がベースにある人は「できないことをできる発言」をしたり、「マイナスの自分を改める」という内容のことを考えたり、行動しようとする。だから「次は絶対に失敗しないよう気をつけます」と言ったなら、それが気分であり『必ずできない』のははっきりしている。
失敗しなければ何かがうまくいくのか?それは失敗がなくなるだけだ。できない自分を克服すればできる自分になるのか?それはただのニュートラルだ。まだできるということではない。
気分を持つ人、人格が低い人は共通して「自分の悪いところを直そう」「失敗したことを取り戻そう」「取り戻すのが無理なら次は同じことを起こさないでおこう」と言う視点を持っている。これは、
マイナス回避の視点
という。
そして次のことは話すが、
目の前の現在のことを話さない
という特徴がある。今30万円返してもらう必要があるのに、自分のマイナスの克服や次の話をして何になる?
 
さらにこういう特徴もある。何かの説明責任を求められたとき
できない理由や事情が何なのか?
を説明する。
その場面で説明をするということは、そこに至る日常の場面でそのような考え方をしているということだ。マイナス回避の視点があるということは、常にマイナスを見る視点があるということだ。なら見えているものが多く得られるのは当たり前だろう。
そうなるとわかっているのだから、そうなったときに回避できる理由を探しておかなければならない。だから上手に「できない理由」を話すことができる。
 
 
 
 
■ここまで来るともういろいろと明らかだと思うが、人格が高い人、気持ちを持っている人は、
・できる理由を話し
・目の前の現実を見る。それが今不可能なら、どれだけ今に近い時点で可能にできるかを考える
・そしてプラスになる視点を持っている
 
これは「行動」のことを言っているんじゃない。『基準』のことを言っている。
人格の高い人低い人、人間性の豊かな人乏しい人、それぞれに共通する物事を見ていくと、気分や気持ちの違い、そしてこの3つの基準が全く違うということがわかる。
 
もちろん、うっかり油断していたら「できる理由を話し」「現実を見て」「プラス視点を持つ」・・・・などということは決してない。
うっかり油断して得られるのは必ず「マイナス」と「現実の不具合」と「できない理由」だ。または、偶然運が良くそんなことを考えなくて済んだという確率だけだ。
 
うっかりしながら、心の強みを生かすことができるなどということは決してない。
意識しなければできない。
 
 
だから人格者である人は必ず何かしら自分の個性や心の強みに対する意識をしている。
ただし逆次は「マイナス」「不具合」から『できる理由』を見つけるという誤った意識をする。ここに騙されてはいけない。こういう人は偽善がうまく欺瞞を行う。「見せて」判断させることに長けており、「印象」「性質」「性格」を上手く扱う。人格は低い。
 
意識するべきことは自分の心の強み、その個性でなければならない。
 
 
 
 
このことは、それぞれの人の個性が異なっても人格が高い人に共通している。
共通しているなら簡単なことで、そうあればいいということだ。
(そうするという「行動」ではない。そうあるという「基準」だ)

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