自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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【心の強み08】深い人間関係を築く、というものはない


■心が通じ合った。お互い信頼している。

そいう物事のほとんどはウソとまでは言わないものの、大きな勘違いではある。

深い関係、長い関係を否定するのではない。それを言っている人の人格が低いのなら、関係もさほど大したものではないということだ。

成果を上げている者同士がこういうことをよく言う。

ビジネスで一緒に成功していると自分は相手を、相手は自分をよく知っていると勘違いする。知っているのは共同作業の中身と、役割分担の妙義であって、相手のことではない。せいぜい性格どまりだ。

円満な家庭生活をしていると、旦那のこと、子供のこと、家族のことは深い絆で結ばれていると勘違いする。いいところ共依存と家庭内ルールに基づいた、自分の頭では考えることのない従属だ。支配者はいない。全員が従属している。その証拠に、誰も誰かの心の強み(個性)をもっと伸ばすために必要なことは何か?と本気では考えていない。なぜなら考えると家庭の連携が崩れるからだ。

こういうのは「私たちうまく行っているよね」という暗黙の了解の元に関係が成り立っている。

■人格は心の強み、つまり内面の個性に関係する。それを伸ばせばいいことも悪いことも経験量と知覚が増える。増えるとどうなるか?

自分の個性の適用できる範囲や細かい物事がもっとわかるようになる。例えば自分は「こんなことに努力はするべき人間だが、ここに努力してはいけないな」とか、「こんな人のこの状態を許すことはできるけども、この場面で許してはいけないな」とか、そういうことがわかってくる。

人格を上げていなければ、「ビジネスで成功するためにはなんでも努力しないと」「家族っていうのは最終的に許しあうものだ」という『標語』ありきになる。

つまり固定概念と思い込みだ。

美しそうな言葉を使ってそれを守ろうという働きが出る。

抽象的で理想的な言葉を使っている場面では誰もがこの状態に陥っている。

そこには具体性と、適用範囲や事例がなく、標語ありきの強制だけがある。

気持ち良く強制に身を委ねていれば、心がつながり合う人間関係が築かれる・・・とは決して言えない。

人格を上げている人は、別の人格を上げている人のことが知覚的によくわかる。

自分との違い、何がより強いのか、それがどこで発揮される人なのか。

その心の強みと、それをどのように使う相手であるのか?を理解できるという状態こそが、「人と心のつながりが持てている」ということだ

理想論を言っているのではない。

物事がただそうなっているということだ。

■だから「深い人間関係を築く」という言葉は本質的に使い方が誤っている。

行動によって深い人間関係は築けない。

人格を高める適切な「基準」を自分に採用し、そのためにやるべきことをやっていると、必然的に同じようにやっている人のことがわかってくる。(やっていない人がどのように、なぜやっていないかもわかるようになる)

相手も自分のことが必然的にわかるようになる。

この関係が深く分かり合える関係となる。

あるいは心がつながっている人がいる、と言える。心がつながっているというのも理想論ではなく、心の強みという個性を理解し合うことができており、多くの知覚の共通している部分部分によっては共感や共鳴すらすることができるようになる。感受性による共感とはレベルが違う。

接触回数や会話の量、一緒にどのような経験と思い出を作ったか?で人と人の深い心のつながりは生まれない。

自分のことをよくわかってほしいと誰もが思っている。諦めつつ願っている。

そこで共通ルールを設け、それを守る人との間に絆「のようなもの」を作る方法に出てしまう人は残念ながら人格が低いといえる。

人格を高める先に、副作用として深い人間関係が待っている。

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