自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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そこまで怒らなくていい、ことに怒っている自分


ある種自分への戒めも含めて書いてみようと思った話題です。

「怒る」というのは内心苛立つとかはらわたが煮えくりかえるとか、そういう感じなのだと思います。

心理的背景を見ると「怒り」の背景には「悲しみ」があるとされていたり、

肉体的に見ると「怒り」は腹で、「悲しみ」は胸で、みたいな考え方もあるようです。

感情は勝手に湧いてくるもので、敵でもイヤなヤツでもないのだから

怒りを感じることができる自分も、僕はなかなかいいヤツじゃないかと思うのです。

思うのですが、習慣的に過剰に怒るということもまた実際にあるわけです。

例えば街中で見かける小さい子供に怒る母親。

「え、そんなことでそこまで怒る必要なくない?」的言動を見ると

こちらが逆にムカっとしてしまうこともよくある。

僕の知り合いの子育て関係のエキスパートによると、

そういうことはよくあることなのだそうです。

子供の話ではなかった。。。

冷静に考えてみるとそこまで怒ることのほどではない・・・・ということはよくあります。

僕も結構イラちなのでプチっといってしまうことが良くあります。

特にサービス業の接客が最も顕著。

外にご飯を食べに行くとか、それだけで精神衛生上よろしくない。

あと家でも結構イライラとすることがあって、

家で仕事をしているので、なおのこと仕事の進捗に関しては超気になるのです。

って、外も家もダメだ・・・

勝手に怒るのもまた自分なわけだから、自分で自分が怒る分には全然いいと思います。

僕は理想論書かないので、人に迷惑が云々~とかどうでもよいと思っていて

それは相手がまた勝手に不快に感じるか、どう捉えるかを決めるものだからなのだけど、

つまりは感情や気持は本人が勝手に持っているものだ、ということです。

怒ると疲弊します。疲弊できる自分もよいと思う。

飽きるまで怒って疲弊して、はいこれ。

なのだけど、冷静に考えてみるとそこまで怒らなくてもよいということはたくさんあって、

これは瞬間的に起こりはじめた最初に

「あれちょっと待てよ。これってそこまで怒ることか、そこまでではないかどっちだっけ?」

と一息入れてみると、

自分で自分の世界を狭くしている習慣だけはクリアにすることができます。

怒りの感情は敵ではない。むしろ感情を感じられる正常な機能を持った自分。

でも、怒りの感情を使って自分の世界を狭くしている習慣があるのなら、

それは正常な機能を阻害している、思い込みの自分ということになります。

これは面倒だからやめた方がいいと思うんだよな。

ま、一息入れるタイミングが難しいわけだけども・・・。

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