自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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みんなぼっち


こちらは2010年03月07日に掲載されたコラムです。

ある小説に書いていた言葉なんですが、昔読んだときに「何という絶妙な表現」と思ったのを覚えています。
とはいえ、僕の周囲にはどちらかと言うと人間関係を遮断しない孤高の方が多いような気がするし、
実際に独立して活動されている人が多いわけですが。

1人ぼっち
というと、友達がいなくて孤独で孤立しているという印象がありますね。
あれのみんな版という感じかな。みんなぼっちは。
仲良く振る舞っているように見える。表面上はにこやかで、心が通じ合っていることを確認している感じ。

でも絆とか真摯さはそこにはなくて、集まるために集まっているような
それぞれが孤独で孤立しているからそれを避けようとするような、
そんな集まりのことなのかなと思うわけです。

「仲間がいるから寂しくない」
ということがもう既に、つまり自分は寂しい人間だと言っているようなものです。

「仲間」はあるひとつの共通目的を持っているときに生まれます。 たとえば会社とか学校なんかはいい例だと思う。

もっと身近なところだと、心理学にはマッチングセオリーという考え方があって・・・平たく言うと類友で、
自分に似た人と仲良くなるようにできているわけです。
そうやってできた仲間は、もちろん生きていくとか、何かを行うとかいう上で素晴らしいことではあるのだけども、
そういう正当な理由を使って、結局その状態に依存したり、正当化するということもあるわけです。

もしブロックを問題にするのなら、
本当はわかり合いたいのに人と打ち解けず、ストレスを抱えているケースだと分かりやすいのだけど
人と打ち解け合っていながら、背景にこういう事情を持ったブロックに気がつくのはなかなか困難です。

僕は「友達」の話になるのがなかなかニガテで、
一緒に遊びに行けば友達なのか、連絡を取れば友達なのか、心を開けば友達なのかよく分かっていません。
そもそもそういうふうに難しく考えるところが、友達の何たるかを分かっていない。

だけど、「仲間」に関してはある程度明確で、
それは中世ヨーロッパのギルドのようなイメージを持っているわけです。
それぞれの独立、自立した商人が相互互助を目的として集まる場所を作る。
いざというとき(取りはぐれが起こるとか、銀行機能が必要とか)いうときに協力し合って助け合う。

完全にギルドをイメージすると、もっと厳しいルールがあるのでちょっと違うのだけど、
各個々人が自分の軸を持っている、大切にしているということと、
相手が相手の軸を持ち、自分と同じように大切にしているということを認めることができる、
ということだと思っています。
そういう者同士が集まって、何かひとつの目的を持つ。

とは言ってもやっぱり難しいのは、
ひとつの目的に向かって集まるという時点で、
既に正しい理由のあるみんなぼっちになっている可能性があるということです。

それぞれが個別に軸を持ち大切にしていることと、
個別に軸を持ち大切にしている人が集まった時にそれがどうなるのか?ということは、全然一致しません。

これは社会科学的な話になるけども、
人は個別で活動するときと、集団で活動するときは全く別の生き物のように異なる行動を取ります。
1人ぼっちであることに取り組むなら、個人の軸やブロックに対応すればいい。
同じように、みんなぼっちに取り組むには、集団の軸やブロックに対応する必要があるわけです。

集団をひとつの生き物として捉えるというか。

なんだか難しい話になっているのだけど、
できることの最初として、仲間の集まり・・・集団が、みんなぼっち化していることに気がついたら、
その世界から一度距離を取って見守るスタンスを取ることです。
最初の理念や、みんなの価値観がなんだろうが、基準をみんなぼっちにすること。

結局のところ、長い人生を歩いていく上で継続的にうまくやっていくことを考えるのなら、
決定要因ではなく、制約条件について良く考え、取り組むことです。
それが仲間~集団の場合なら、みんなぼっちになっているかいないかで、
自分の身を置くかどうかの判断基準にすることです。

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