自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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インディゴ・ソウル


先日、

「僕はニセモノが大嫌いなんです」

と、話の流れで言ってみた・・・・ら、こんな風に教えてくれました。

メラメラとわき起こってくるものは
インディゴソウルといぅ 新しい時代の革命的たましいの
特徴でもあって 正義の怒りといぅか
宇宙の法則から逸れているものに対する 憤り、怒り
といぅのが 自然に湧いてきます。

なるほど。これは少なくとも僕にとっては必要だ・・・ということで、大きく納得したのだけど、

同じようなことは有名なところではジョルジオ・アルマーニが言っています。

   私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない。

あくまで一例。

有名人持ち出して理論証明しているのではありませんよ。

僕自身のニセモノ嫌いはかなり筋金が入っていて、

でも普通に考えてみると、

何が本物で何がニセモノか角度を変えてみてみればニセモノではないんじゃないか?と、

いろいろな見方もできるわけです。

だから長年ずっと、本当に本当のことは何か?ということや、

それを見分けるためにはどうすればいいか、どんな方法があって、どんなパターンケースがあるのかとか、

直感的に分かるのかどうかとか、見方の角度にはどんなものがあるのか?ということをずっと見続けてきています。

歴史勉強したり、言葉の定義の意味とか、人格との関係性とか、

素質や資質とかからオーラや雰囲気までいろいろね。

(ファッションブランドなんかも、ものすごい散財して買いまくって着まくったけど、

好みを別にすれば、結局アルマーニが世間に上の言葉を言う前から来ていたりしたしね)

それでもニセモノが何か?を定義することはものすごく難しくて、

結局制約条件的に見るしかなくなってくるわけです。あと直感的に、と。

例を挙げておくと、社会の流れにうまく乗ればいいんだ的手法のほとんど、

それから、痛みや恐れを避ければそれでよいという考え方のほとんどは、ニセモノの可能性大です。

(あくまでほとんどであって、全部じゃない。目安として)

直感的によく見るのは、人に対してで

自分で自分の人生を生きようとしない人に憤りを感じることもままあったりします。

自分の人生を生きていると錯覚している人も多いから、なかなか難しいんだけどな。

「じゃあ、自分の生き方かどうかどうやって判別するんだ?」と言われると・・・これも一言では書けない。。

本当に本当のことを追求するというのは、まったく楽なことではなくて

ある意味上に書いた社会性を無視して収入が減ったり、痛みを受けいれて動けなくなったりもするわけです。

個人的に言うなら、僕はそれをやっている人が好きでやらない人が嫌いなわけで、

余計なお世話なんだが、やらない生き方を良いとするようなことをやっている人を残念だと思うし、

やらない生き方こそが良いといい回っている連中に対しては異常に腹が立つ。

(腹立つのも面倒なので見ないようにするだけだけど・・・・自分がやることはそこにないから)

もちろん「本物でメシが食えるのか?」というのも大事なことで、

メシ優先にするのは構わないと思うんです。

大切なことは心にインディゴ・ソウルを持っているか?ということでしょ。

隙あらばインディゴ・ソウル。そういう人であるかどうかって、大切じゃないか?ということです。

科学的に考えると、ニセモノの大部分は自然淘汰されます。

公平に言うと本物の大部分も自然淘汰されます。

なんだ、結局は一緒じゃないか?ということなのであればインディゴ・ソウル持って生きるかどうかじゃないか?

とか、超個人的に思うわけです。

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