自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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カリスマ不要論 ~定期メルマガ配信します


 カリスマ不要論はセミナーでもよく言っているのだけど、

 ちょっといろいろな方向から見ていこうかと思います。

  

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 カリスマが偶然カリスマになって、カリスマは偶然成功する・・・というと、

 ほぼ間違いなく否定されると思うけども、数学・・・特にランダムを扱う世界や

 確率論の世界ではそういう風に認識されています。

 つまり偶然カリスマになった、というのが正しい認識だと言うことになります。

 (なぜそうなるかは、ここでは書きません)

 複雑系の科学の世界でも、その人がカリスマになった条件を見ていくと、

 何かどこかの条件がそろわないだけでカリスマにはなれなかったという、

 「シンプルなもののかけ合わせは予想がつかない」という考え方をします。

 普段、多くの人が信頼している「数学」「科学」がそういうふうな理解を

 既に示しています。

 

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 心理的には、カリスマは生み出されるものです。

 大きな売り上げを打ち出した社長やコンサルをCEOにつけたり顧問にしても、

 業績が伸びるということはまずありません。

 (実例には不足していないのだけど、これも省略)

 業績がいいのだから、成果を打ち出したのだから、

 「何か必ず秘訣とスーパーパワーがあるに違いない」と思い【たい】のが

 人の心理です。

 この心理で【秘訣】はないところから「ある」状態へ想像されます。

 つまり作られます。捏造されるといってもいい。

 歴史を見ればこの証明はとても簡単で、

 先人の知恵や技術を取り入れて成果に導いたケースはあっても、

 瓜二つのカリスマとして活躍したケースはありません。

 歴史に名を残すようなカリスマは(矛盾した言い方だけど)必ずオリジナルです。

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 精神世界的に見ると、守護霊の力によってとか、前世の職業や因果など

 目に見えない様々な力によって理由づけされることがあります。

 この考え方が正しいとしたら、成果や成功はその人独自のもっている「モノ」

 よって生み出されたのであって、そういうことが実際に起こるのなら

 その役割の人を待っておけばいいということになります。

 もしその考え方が間違っているのなら、目に見える力によって

 強さ、魅力、成果などが生まれるはずだけども、

 ではどんな強さ、魅力、成果を身につければ「必ず」うまく行くのか?となると

 どのカリスマに聞いたところで、本人がそれを理解していないか、

 理解していると勘違い&錯覚しているかのどれかです。

 なぜなら、そのカリスマの特性とその力を発揮できた条件(外の世界。世の流れ)

 うまくマッチしたからうまく行ったはずです。

 その人に限りなく近くなることはNLPを使ったとしても脳構造的に無理があるし、

 まして世情が同じ条件を示してくれることなどないことを私たちは肌で知っています。

 歴史学者の認識通り「歴史は繰り返さない」のです。

 (「歴史は繰り返す」ということがないのは、よくよく調べるとわかります)

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 長期継続しているシステム(国)を見てみるとなかなか明らかです。

 徳川300年の世のうち、カリスマ的魅力があるのは初代家康、8代吉宗、15代慶喜

 ぐらいのもの。全15代中3名。

 中華だと400年続いた漢王朝なら初代高祖、16代光武帝。全31代中2人。

 1000年続いたヴェネツィア共和国は徹底的にカリスマを嫌ったというだけあって

 現代に残る有名政治家はゼロ。

 長期継続すればするほど、カリスマは不要だということが歴史的には明らかです。

 

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 科学の世界では、たとえば1905年にアインシュタインが特殊相対性理論を発表した

 というのは聞いたことがある人もいると思いますが、

 それすら、科学分野というジャンルが何年もかけて総合的にレベルアップして、

 最終的にアインシュタインが「発見」したという見方があります。

 その後も一般相対性理論を発表する1915~6年までに、

 リーマン幾何学という数学をある数学者に教えられたことが大きな進展として知られ

 天才が創造したというよりは、代表がさらに一歩前に進んだという考え方が

 実際には適切だという考え方もあります。

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 これほど、物理的、心理的、歴史的にカリスマが不要であること、

 生まれるのは「偶然」によって生まれることを書いても、

 ひとのカリスマ待望論がなくなったことも歴史的にはなくて

 それは単純な心理から生まれています。

 たとえば、私たちは収入と実力を比例して信じ込みがちです。

 収入が多い人は実力があり、何かに優れ、秘訣があるか素晴らしいと思いがちです。

 僕のように3年間もほぼ無収入で仕事をせず、グータラ暮らしていた人間は、

 社会的に見て不適合者で、何か欠点があると思われても全く不思議ではありません。

 仮に収入と実力が比例するとして、

 年収200万円の人と、年収2000万円の人の実力が10倍も開いていると思うのは、

 どう控えめに見ても無理があります。

 人のカリスマを信じたい心理はそれほどあやふやなものです。

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 また矛盾した表現をしますが、当のカリスマをカリスマたらしめているのは

 その人のオリジナリティであって法則ではありません

 が、多くの場合、その当人が

 「成功法則を実践しました」とか

 「人のつながりを大事にしました」とか、

 「社会貢献を意識しました」とか、

 原因と結果がリンクしていない物事を、さもその通りだっと錯覚して

 やめておけばいいのに伝えることで、

 あやふやで正しくない知識が認知を受けるような状態になっています。

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 なんていうことを書くと、僕もたまにカリスマだと言われるし、

 昔は意識的にそのイメージを利用していたのでもっと思われていたと思います。

 僕を真似しても僕にはなれません。

 それは僕がこのメルマガを読んでくれているあなたを真似しても絶対になれない

 のと全く同じことです。

 普通に考えれば誰でもわかります。

 自分ができることを精一杯、ありのまま自分らしく

 今日という人それなりにうまく歩くことに集中していることが、

 自分の人生を歩いているということだと思います。

 理屈をいっぱい書きましたが、結局はそれだけで十分。

 カリスマだかなんだか知らないけど、

 とにかく他人の人生、他人の考え方、他人の行動を生きないことです。

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