自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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一次でやる、ということには前半戦と後半戦がある


裏マガに書こうと思ったけど、まだ年内なのでコラムとしてこちらに。

一次でやろうとしている人に、共通している違和感を感じた。ので探ってみた。

これまで二次でやってきた人(ごく一部逆次でやってきた人)
一次にスイッチする時の特徴として
明らかに二次的であり、間違いに気がついたこと
に手をつける。

感情面の解消であるとか、
本当はこうでありたいのに、そうではないこととか、
言いたいのに呑み込んでいたこととか。

それは当然手をつけるべきことだけども、
それができたからといって、全く一次ではない
ということに気がついていない人もまた多い。

これまでの「勘違い(二次)」「誤認(逆次)」を解消しても
それは足を引っ張る鎖を取ったようなもので一次ではない。

しかも一次であることを十分に理解できていない。

一次は「自分を生かす」「自分の人生を創る」の両立だが
その運びは前半戦と後半戦に分かれる。

前半戦でやることは決まっている。
毎日の目の前の物事をひとつひとつ、全部
自分で決めて自分で選ぶ。

目の前のひとつひとつが現実を作り、
小さな現実の集まりが自分の人生を創る。
目の前のひとつひとつがスタートラインになり
その結果が人生になる。
(ついでにいうと、ひとつひとつに対して自分が発揮される)

ところが二次から目覚めた人は、自分で認識できる「ガーン」な物事に手をつける。

もちろんそれも必要だけど、
それは全体の「ひとつひとつ」のごくごく一部に過ぎない。
だが感情的には全体の大部分だ、という認識がある。

つまりここに「勘違い」が生まれる。
二次を脱却する方法を使って二次をやってしまうことになる。

一次でやるということの基礎中の基礎、基本中の基本は
毎日目の前のひとつひとつを、全部自分で決めて選ぶこと。

最初は意識をしなければならないし、
勘違いや誤認もたくさんあるので
ひとつひとつ全部修正しなければならない。

たとえばカフェに入って自動的に珈琲を注文しているなら
心の声に従った注文に変えていかなければならない。

食事、服、家具、仕事、人間関係などの生活全般に対して
自分が重要視しているところではなく全部やり切る。

そうすると、そのうち自分の心の声に従った
安定的で安心な世界ができあがる。
自分を生かし、正しい妥協(二次)をしているとしても
思い通りの人生を歩むことが可能になる。

ひとつひとつ自分で創る。

後半戦は違う。
安定し、作り上げた世界は居心地が良くいつも心の声に従っている。
だからこそ、この世界で過ごせばいいとしたり、変更しないときに
一次的二次、一次的逆次が生まれる。

世界は、人生は、自分で創ったその世界にだけ限定されるはずがない。

後半戦では安定し、作りきった世界をひとつひとつ脱却する。
完璧に上手くいき、完全に心の声を現実にできたことを止め、
そうではない別の、未知の、まだ人生の世界の可能性を広げることを選択する。

やってみて、明らかにダメなら戻っても良い。
戻ってからまた別のことにトライする。

ひとつひとつ覆し、ベターにトライしたり、新規をスタートする。
世界を強制的に変えてみる。

一次によって完璧に世界が作られたら一生を生きた意味がある。
これが寿命までにできたなら、
二生目、三生目をやってみる。

一次前半戦の習慣があることと、赤ちゃんからのスタートではないという意味で
一生目よりも簡単にできる。

これをひとつひとつ後半戦として行うので
実際には前半戦の最中の目の前のことと
前半戦が終わっているので後半に突入する目の前のことが混在する。

ある物事はまさに前半戦に取り組み思い通りの人生を創り、
ある物事は後半戦を行って、思い通りには行かないことに取り組む。

逆次はこれを逆にし、
二次は前半も後半も中途半端にやる。

一次で生きるというのは、この混在を目の前のひとつひとつ全てにやること。

これをやらずに、
感情面を問題にするとか、
やりたいことができるようになった、
言いたいことが言える自分、
前より世界が明るくなった、
できないことができるようになった、
強みを生かしている、

というのは全部勘違いの二次。

人生には苦手なことも困難なこともある。
それが「目の前」になる。
あるいは、人生には「特に何者でもない」という
甘えタイムが来ることがある。よくある。

そのときの「目の前」をどのように決め選ぶか、
または安定しているものを捨て
今までよりも困難な道に進むか?
(つまり前半か後半か)
を知り、人生に組み込むことが一次の生き方になる。

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