自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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不要な努力をしなくて済む「結論の理解」〜「理解」を使うシリーズ5


【「理解」を使うシリーズ】

「理解」を使うということ
事実誤認と理解。マジメに向き合うことの誤認~「理解」を使うシリーズ2
スケールの誤認。器ともいう場合あり~「理解」を使うシリーズ3
意味を探るムダを省き知覚が広がる~「理解」を使うシリーズ4
不要な努力をしなくて済む「結論の理解」~「理解」を使うシリーズ5 (この記事)
「理解」と「わかる」を使い分ける~「理解」を使うシリーズ6(最後)


理解シリーズたけなわ。

結論どうなっているのか?を知っていれば、悩む必要はなくなります。
積読本のどれから読むのが今のベストか?と考えたとき、全部読み終わっていたら
どれから読んでも同じ、という結論に少なからずなり得ます。

どの本から読むか真剣に取り組む時間はムダ。
直感を使うとか、気分がどうとか、今の課題やテーマは何とか、ということをやらなくてよい。

遅刻するときに焦ってもムダ。
結論は遅刻してたどり着き、謝るにしてもすぐに日常に戻る・・・か、
たどり着くことができず、その日は予定通りにいかない→その後日常に戻る。だけ。

怒られるとか、評価が下がるとか、そういうことも短期的な結論として予想できることだけども
その後の結論はどうなるのか?ということ。
日常に戻るならいちいち汲々として過ごす必要はない。
例えばクビになるとか、人が去っていくのなら、それも結論。

結論を避けたいのなら、遅刻に焦ってもムダなので適切なフォローを考えるしかない。
結論クビになったり、人が去っても、さらにその結論の結論に自分らしい人生に戻ることができるのなら
慌てふためく必要は全然ない。

結論「だいじょうぶである」ということが、わかっていないために人は迷って悩む。
だいじょうぶであるというのは、楽観主義ではなくて現実的にだいじょうぶであるという理解のこと

理解はわかるよりも浅いから、なぜだいじょうぶなのかは説明できない。
よくはわかっていない。が、理解はしている。だいじょうぶという結論を知覚している。

だいじょうぶなのであれば、どうふるまうのか?
どのように自分らしくやるのか?を考えるとき、
フクザツでムダなプロセスはどんどん省かれていって、シンプルにならざるを得ない。

悩みと迷いは減って、焦りはなくなり、確信にまでは至れないけども、もっと曖昧なのだけども
とにかくだいじょうぶであるという理解を元に進めることができるということ。

進めることができるというのは行動のこと。
最初から結論を取るために、すぐに行動に移すことができる。
闇雲な努力の行動ではなく、自分にウソをつく行動ではなく、
軽くて浅い理解のもと、しかし結論だいじょうぶに向かっていく行為

自分にとって最後に何がだいじょうぶなのかを理解すること。
わかるのでもなく、知るのでもなく、理解する。理解の使い方上級編。

理解は最初プロセスが抜けて結論が出てくるるので、長期的な視点になりやすい。
わかるは最初わかる力からスタートするので、今わかるべきことを全てわかろうとする。
カンタンに複雑さが生まれてくる。
複雑なものは解明したり解消しなければならないので、
どうしても次に進むために必要な行動は解明と解消である、という短期的な見方になる。

わかるで進める人が目の前の物事に、真剣に誠実に真っ正面からストレートに挑んでいる間に、
理解で進める人はさっさとカンタンな結論を得てしまっている。

わかるで進める人はそれを見て、人生は効率ではないとか、自分に向き合わないとか嫌悪感を覚え、
理解で進める人はそれを見て、めんどくせえ、悩むのが好きなのね、と思う。

わかる人はどんどんその習慣が強化されて、自分に向き合うことが得意になり、
理解の人は、どんどんその習慣が強化されて、結論を得ることが得意になる。

そして往々にして、
わかる人は自分にこんなに向き合っているのにほしい結論が得られないことに悩み、
いつも必ず、自分に対しても人に対しても向き合うことの重要性を説く。
理解の人は結論をどんどん出しているのになんだか満たされないことに悩みはじめ、
いつも必ず、結論を得る為に行動することの大切さを説く。

そうなったら、逆を取り入れる。

理解の効果的な使い道を知ったわかる人は、わかるからスタートしているので
自分の軸を立てて見失わずに、結論を得ていくことが可能になる。
わかるという複雑さを身につけた理解の人は、理解からスタートしているので
結論をどんどんと出しながら自分らしさを取り入れていく術を身につける。

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