自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

HOME / コラムを読む

二律について。


超くどくてわかりにくいこと書きます。一人踊ります。

興味ない人はスルーしてね。

摂理の下に(ことわり)があります。さらに下に現象があります。

ざっくりまとめて摂理系とします。

真実の下に本質があります。さらに下に事実があります。

ざっくりまとめて真実系とします。

違いを書いていきます。

摂理真実は似ています。

何が違うのかというと、摂理は自然の絶対法則のことで、真実は人間の絶対基準のことです。

摂理は人間も自然の一部として扱う物事で、

真実は人間を全体として扱う物事です。

は摂理の中でも、人間に関わる摂理のことです。

例えば四季が巡るとか、寒波がやってくるとか、月の満ち欠けによって体に変化が表れるなどなど。

本質は真実の中でも自然法則に近いものです。

例えば、精神と肉体はリンクしているとか、臨界点を超えると急速にヒットするとか、物事の原点はこれだ!などなど。

摂理や理はなんとなく数学的な、無機質な雰囲気。

真実や本質はどことなく心理学的、体系的な感じ。

ここまでは一般的に探るのが非常に難しい物事です。

現象摂理系の物事の末端作用です。

摂理の中の一部の一部の一部が、人間の目に見える形として現れた・・・・木でいえば枝の先の先の方です。

事実真実系の物事の末端作用です。

真実を一面だけから切り取って「物事はこうだ」としている一部分です。

どちらも前後の事情や多面的な見方、複合的な考え方のない浅い結論です。

が、一定の結論ではあります。

人は強い情報や勢いに流されて、その後にその理屈が正しいという理由づけをします。

「良いから」とか「正しいから」とか「新しいから」とか、などなど。

つまり、物事を良しとするのは強さに流されていることがほとんどだからで、

本当に良いとか正しいとか新しいという理由ではないということです。

人は強さに流されて、その後に正当化します。

そして正当化した後に、

だからこれは宇宙の法則だからとか、自然現象だから・・・・という理由を付けます。摂理だというわけです。

または、だからこれは真実であって疑いようの余地がないとします。

そういう場合、たいていは摂理ではなく現象真実ではなく単なる事実であったりします。

インチキに流されないために重要なことは、まず強いものを見た瞬間に3日は寝かせること

3日経って、熱が冷めてそれでもまだ価値があるようなら手をつける。そうじゃなければ捨てる。

それがクリアできたら、

摂理と呼んでいるものが単純現象ではなくて理を含んでいるか?を見る。

真実と呼んでいるものが単純事実ではなくて本質を含んでいるか?を見るようにします。

(それが難しいのだがなぁ)

それができたら、特に注意するべきは

摂理系は多くの場合で人の役に立たないことがあるということで、

論理の正当化のために使われることがよくあります。

大自然の法則をとうとうと説明されたとしても「だから何?」で終わることは少なくない。

そういうのは人として役立たないので、ほとんど無視してOKです。

真実系の中で注意するのは、意外と事実がものを言うことがあるということです。

本質などさっぱり知らなくても、事実を使うことで現実世界をうまく泳げるということはよくあります。

現実だけが進めばいいということではないけども、

人が人として生きている中で必要なことは、自分がどのように自分らしくうまく進めることができるか?です。

そういう基準だけで考えるなら、

摂理を重視しすぎず、事実を軽視しすぎないことです。

僕は自分の経験上だけでいえば、本質を押さえておけば事実と真実を軽視しないし、

理と本質の違いを押さえることができるので何が必要かを判別しやすいと考えています。

ただし、本質にとらわれすぎるとたちまちのうちに事実を軽視するようになるので注意が必要です。

摂理系も真実系も、それが強みでいきなり答えが分かる人がいます。

が。

どちらも適切な考え方や思考のつなぎ方の訓練で、誰でもある程度できるようにはなります。

「知る」方法というのはある程度スキルです。

そしてこの6つの違いを押さえておけばニセモノに流されることもないし、

自分が確立したものがどの程度本物なのか?を知ることにもつながります。

どの場面でどちら系を使えばいいのか、なぜそうなのかが分かっていればこれがなかなか便利なのです。

トップに戻るボタン