自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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人間そのものを見るということ。


自分のことをよく知る、内的なものをよく見る・・・・ことは一般的になかなか難しいとされています。

自分のことを知ったり、見たりする方法が良くわからないということもあるし、

そんなことをしているヒマがあるのなら、楽しいことをした方がいいとか稼いだ方がいいとかいう理由もある。

とはいっても、

僕の周囲には自分のことをよく知ろうとする習慣を持っている人が多いのです。

仕事がらというのもあるのかな。

強みを扱っていると、見事に強み発掘がじゃんじゃん進み、生かしまくる人が出てきます。

そして強みを知ったらほぼ誰でも「自分天才、他人バカ」と思う時期があります。

自分だけが優れすぎている力が強みだから、この考えを持つのは人としてあながち間違いではありません。

こういうときに、人間そのものを見ることをしない人は思いあがりの世界に落ちていきます

自分が天才だと思う時期はあっていいと思うけど、落ちていくのはかなり残念なことです。

自分へのあくなき関心は、たまに人への興味の欠落へ結びつきます。

人というのは他人というより人間そのものという感じ。

自分の強みが生かされて、価値観が強化されて、成果をどんどん出すと確信が高まります

人間そのものを見るということをせずに確信が高まると、

自分視点絶対の世界観が作られてしまいます。

人間そのものを見るというのは、人間とは何でどうなのか。

自分も人間の一部としてどんなふうになっているのか?というようなこと。

具体的に言うなら、健康や成長や関係性、能力、性格と人格、歴史的事実、科学的事実、精神的事実などなど。

こういう人間そのものを見ない習慣があり、かつ自分を深く掘り下げる習慣があると

(上に書いたような確信が高まることで)思いあがりが芽生え育ちます。

自分を見るということは平坦な道のりではないから、それをクリアして得られた回答というのは本質です。

人は本質に行きついたときにこれが真実だと錯覚します。

それはただ単純に自分の中の極めてキレイな本質であって、物事に通じる真実ではない。

本質を真実と勘違いすることで、

内的な深いものと人間的な深いものを混同してしまい・・・・物事を知ることができたので・・・・思いあがる。

思いあがりは、イヤらしい偉そうな態度とは限りません。

ただ単純に確信があって、それを基軸に生きている・・・・こと自体が思いあがりであるということが良くあります。

自分の内省を繰り返し、一定の答えに至っている人は

考える習慣があり、答えを導き出す方法を知っています。

慎重に事実を積み重ねて、自分を実験台にしたり自分の苦しい部分にも向き合うことをやってきた人です。

素がイヤらしい人間なのではなく、どちらかといえば真面目だし誠実ですらあることが良くある。

もっと言えば愛にあふれている人すらいます。

そういう人が人間に興味を示さず、本質と真実を混同して、確信を持つことがもう、

思いあがり人間のできあがりだということです。

確信を曲げない。

それを基軸に自分らしく生きている。

むしろ自分がちゃんとある。

ただ人間そのものを見るということがない。

そういう人は強さを持っています。だから危険。

その強さに魅力を感じて、言っていることに説得力と実証があるのでどうしても流されてしまう。

そういう人を見たら、よく観察することです。(なかなか難しいけど)

分かりにくいが、確実に思いあがりが見え隠れします。

自分自身も、どれだけ自分を正しく知ることに成功しても、

そんなものは人間そのものからすればちっぽけな一部でしかない、ということを肝に銘じておくことです。

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