自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

HOME / コラムを読む

何が「当たり前か」を知っている人


何が当たり前か?を知っている人と知らない人では
格別に大きな差が出る。

個人で考えるなら

自分がやっている無意識が何か?とか(例えば強み)
予期せぬ成功は何か?とか(例えばなってしまう強み)
どのようなシチュエーションで何をする自分か?とか

そういうことを知っている人は自分を誤って運ぶ可能性が低い。

だからうまく行きやすい。
上手く行くだけではなく、
思考は余計なことを考えないのでシンプルになり
心理は不確定なことがなくなるので軽くなる。
資質は必要なものを効果的に使う準備だけができるようになる。

自分にとって何が当たり前か?を知らない
または
知っているはずなのにギモンを持ったり
知っていることで組み立てず余計なことをはじめると

何度か迷ったあげく、
これまでの自分でいいという無意味な再確認をすることになる。

本来
自分に備わっているもので自分を組み立てること、
そこから備わっているものを超えることを考えるべきが

備わっていないものを備えないといけない、と考え
それは必要ないのだと気がついても
ただのゼロに戻っただけだということと、

そういうときに人間心理は、なぜか
「これまでの自分でいいんだ」
という不毛な方向を向くようにできている。

なぜそれが不毛なのかというと、
「元のままやればいい」という結論は
【自分に備わっているものでやっていこう】とは言っているが

【その組み合わせで自分で超えよう】という考え方が
なぜか打ち捨てられ見向きもされなくなってしまう。

そういうことがよく起こる。
この回り道は元に戻るだけではなく
元々持っていた自分の可能性も閉じる。
逆に言えば、
自分の可能性にトライしない正当化をする人は
このクセを持っている可能性がある。

理由は説明できるけどハナシが逸れるので
個人の「当たり前」を知っておくのはここまで。

例えばカップルや夫婦で、
奥さんがダンナさんにとても気を配っているとする。

ダンナさんがそれを「当たり前」だとして
特に感謝もせず、
それをされなければ怒ったり、イライラしたりする。

そういうときに、
女性は女性同士で文句を言って共感するかもしれないし
男性にもの申せる人がいるなら
「感謝しなさい」と言うかもしれない。

そこにムダがある。

「当たり前」は悪者ではない。
悪いのは、「当たり前」に気がついておらず
無自覚でそういうものだ、としていることにある。

これは男女間だけではなく
親子間でも同じ。

メシが出てくるのが当たり前。
だから文句言いたい放題で甘えている・・・という子供は
その習慣が定着すると大人になったときに
必ず同じ問題を抱えることになる。

「当たり前」はなくてはならない。
「当たり前」が当たり前でなくてはならない。

むしろ「当たり前」を持っていない人は
恵まれていないと言っていい。

恵まれたものを何か持っているのに、
それに無自覚で、
自分とつながりがなくてもそんなことは当然だと
そう認識していると

それを失いかねないような事件が発生する。
失う場合もある。

当たり前を当たり前として、
特にその恩恵に与っているとして
感謝は必要ない。

人は当たり前に感謝しない。
自覚、認識、気がついていてもたまにぐらいしか感謝しない。

だから、
それを例えば夫婦ならお互いが当たり前にできているから
次の可能性や、
次に組み立てる物事に進めることができる。

【次の可能性】という意味で
ここに書いたことは、上に書いた個人の場合と同じ。

もし「当たり前」に感謝をはじめると
これもなぜか【次の可能性】に向かうことをやめる。

現状で止まる。
つまり、徐々に衰退する。

個人やお互いにとっての可能性というものは
振り返りからは生まれない。

振り返りから生まれるのは
自分やお互いにとって
過去培ってきた確率の高い方法だけ。

これからのことを考え、
自分を未知の世界で活躍させたり
お互いをもっと深い関係にさせたりすることには
まるで役立たない。

しかも、「自己肯定」や「感謝」をしてしまうと
逆に自分の可能性を閉じてしまう。

このままでいい、と足踏みを肯定する。
このままでいい、と過去培ってきたものに目を向け褒めて終わる。

【そんなこと】をしているヒマがあるのなら
自分にとって、お互いにとって
【何が当たり前のことか】と知らない無自覚を
自覚に変えていくことからやることだ。

コラムの転載、シェアは大歓迎です!

トップに戻るボタン