自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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価値基準の怒り


怒りにも種類がある。

多いのは背景に悲しみがある怒り。ブロックと関係することが多い。
過剰な怒り。やはりブロックと関係し、感じる必要がないところまで増幅させる。
前提間違いの怒り。間違った前提で怒る物事が出ているのでやはり感じる必要がない。
尊厳をないがしろにされたときの正当な怒り。ないがしろにされた気がするのは違う。

そして、個性の正当な怒りがある。
価値基準の怒り。

価値基準の怒りは、個性の怒りで
他の人にはない。自分だけにはある。

昨日のことなんだが、山根家末っ子が
お兄ちゃんの水をこぼしまして。

笑ってお母さんのところに行き「こぼしたー」的な?
兄ちゃんの前はびしょびしょのまま。
お父さんがふきんを借りてテーブルを拭き、
末っ子は「てへどうしよー」状態。笑っとる。
お母さんは「どうするん?」と言い
そこではじめて末っ子は「ごめんなさい」てへぺろモード。

やすき怒り爆発!いや、だいぶ押さえた。

人の家のことに口出しなどしないのがスタイルだが

つい、
「自分がこぼしたものは自分で拭かんかい!」
「パパにさせんなや!!」

と言うてもうた。
イヤさすがに席立ってガッツリプレッシャーかけるのはしなかったし。。。

これは前の結婚のときにも言ってたな。

オレには誰もが自分の人生は自分で作る、
そして自分が少しでも生かされるように生きるべき
だという筋がある。(価値基準)

それをわざわざ不利にすることするのは疑問を感じるが
誰もが多少なりとも何かのブロックを持っているので
そういうことがあると知っているし、
それも人生の彩りとしては構わないと思っている。

だが、

その結末の責任を自分で負わないというのは・・・
つまり、自分のケツを自分で拭かないのは
その後の自分のあり方をひとつひとつダメにしていることで

オレにとっては最上級に許されないことなんだわ。
人生を粗末にしていることに対する怒りを覚える。

年齢など関係ない。

自分で自分のケツを拭かないと腹が立つ。
笑ってごまかすとさらに腹が立つ。
【笑って許される強み】を自分をケツを拭かなくて済むために
使ったりなんかするとめっさ怒る。昨日のはそれ。
強みを正当化に使うヤツはヘドが出る。

本当は強みは自分の人生を良くするために使う。
それを、ごまかして「許されるからいいやーん」に使うとか

他のケースだと
ゆるく生きて幸せが保証されているような強みを
やからもう楽で努力せんでもええやーんとか使ってると
めっさ怒りが湧いてくるのだ。

オマエの人生は強みに依存するためにあるんちゃうわ!
怠惰を正当化するためにあるんちゃうわ!!!
自分でひとつひとつ作るためにあって
そのために強みがあるんじゃ!と、
体の芯からめっさ怒りが湧いてくる。

だから、聞く気もないのに質問をしたりセミナーに来たり
そもそも「聞く」ってことが何かもわかっていなかったり
そういう人は

自分で自分のケツを拭けない人、かつ
拭けないことを正当化し、
正当化を通すために強みを使う。

(オレにとっては)許されざる怠慢だ。
1ミリもオレに寄って来んな!である。
子供は寄って来てもよい。
昨日も子供と動物には優しいと書かれた

その通りである。
優しい、が厳しい。

大人は「そんなん知るかボケ!自分で自分のケツ拭いてから来い!!」である。

価値基準の怒りは、他人からするとタダの狭い心になることもある。
自分が間違っているんじゃないか?と思うこともある。

そして難儀なことにブロックであることもある。
ブロックなのに「これが価値の怒りだ!」とか言われたら
やすきもう、げきおこぷんぷんまるである。

本当に価値基準の怒りなら
周囲が何と言おうが自分を通すことだ。
それをしないなら
アンタはアンタに生まれた価値などない。

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