自分の強みを明らかにする松原靖樹のエスモーズ理論

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個人的個人と集団的個人


どんなに健康を知っても、
どんなに心理を把握しても、
人間特有の行動パターンを理解しても、
感情のメカニズムを知っても、
内省し強みを生かしても、
ブロックを様々な手段で解決しても、
適切な手段と情報を習得しても、
長い目で自分を運んでも、

そういう個人の働きに熟練し完璧であっても、
集団、組織、人間関係などの世界では全然役立たない。

個人的個人と、
集団的個人は全然違う。

誰も集団的個人の働きに注目しない。
他人が関わる自分は、自分自身のみの自分とは違う。
なので、対応方法も違い、前提も違う。
発揮される無意識も違う。

その世界に個人的個人の知識や方法は役立たない。

誰もが個人的個人からはじまる。
だから、個人がまずやることは
個人的個人を生かす静寂の世界を手に入れることだ。
関わりのない孤独で孤高の世界。
そこで自分はどんな人間か。

何が自分の健康か。心理か。感情か。
個性か。あり方か。人生か。

それが終わってやっと関わりの世界に出ることができる。
こういうのを自分がある、という。

関わりの世界での自分を知る必要がある。
関わりの世界で自分がどう生きるかを選ぶ必要がある。

そのときに個人的個人の一切は通用しない。
集団的個人からやる必要がある。

集団的個人で役立つことは少ない。
誰にでも適用できるのはふたつしかない。

ひとつは決断すること。
もうひとつは環境を変えること。

どちらも消極的で制約的な方法でしかない。
この方法に個人的個人と集団的個人のマッチングを当てはめる。
極論すれば、上手く行くためにはこの方法しかない。

世の、人にアドバイスする人は、専門職も含めて
ほとんどが個人的個人を集団的個人に当てはめている。
上手く行くはずがない。

目の前のこの人が、
個人的個人でどのような人なのか?と
集団的個人でどのような人なのか?は、
全く違う。
なのに、集団的個人に対して個人的個人の処方箋を発行するヤブが多い。

しかも相手がどのような個性とあるかを見る目もなく、
教科書である情報に当てはめたり
直感的に見えたりわかったりするからという
いい加減極まりないやり方でアドバイスしたりする。

聞き手も個性に個人的個人と集団的個人があることを知らず
混在していたり、
どちらか片方に偏ったりして情報や自称専門家に踊らされる。
上手く行くわけがない。

個人的個人に偏ると二次に、
集団的個人に偏ると逆次になる。

自分が何者であるか?を知ることは大事だが、
内蔵疾患で歯医者に行ったり、
骨折で泌尿器科に行くようなことを
止めることからだと思う。
 

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